2022年6月30日木曜日

さんぽニスト、旧東海道をゆく。其の八

高所恐怖症持ちとして、最初に書いておきたい。

富士川橋長い富士川橋高い富士川橋風強い。
富士川怖いっ!!

いやマジで。かぶってた帽子を左手に握りしめ、首にかけてたタオルを右手に握りしめて、素晴らしい景色だとは思うけども途中で写真を撮ることもせず(できず)、ただ前を見て、向こう岸へ向こう岸へ。そもそも歩行者用の橋が独立してて、幅1.5メートルぐらいしかなくて、欄干に隙間がガッツリ空いてて・・・怖い要素満載ですから。心臓バクバク。はー、無事に渡れてよかった・・・。

渡りきった向こう岸から。

さて。というわけで、前回ゴールの沼津から、まずは遠州灘に沿うようにどーんと一本道。
朝から雲ひとつない快晴、背中から日射しが照り付けてくる――なのだけど、進行方向右、山側のほう「だけ」なぜか厚い雲に覆われてて・・・やな予感。

原宿のエリアに入るところでちょっとその一本道を外れて海岸へ。


千本松原の堤防に立つ。綺麗!だけど風つええ!!
海面には白波が立ってるし、人間も吹き飛ばされそうよ。綺麗だからとスマホで動画撮ってみても風の音がうるさすぎるし、パノラマ撮影しても腕ごとブレブレだし(笑)。まあスマホの限界ってことでご理解くださいませ。

東海道から千本松原のほうに向かいながら、ふと思い出したことが。今からン十年前、書籍の編集の仕事をしてたころ、よくこのあたりに出張校正に来てたなーと。そしたら千本街道に出たところがまさにその出張先の工場だった!!びっくりーーー!!
いやー懐かしい。この工場の片隅で徹夜したり、仮眠室で寝たり、食堂で刺身定食食べたり、印画紙抱えて三島駅からタクシーで来たなとかいろいろ思い出した。図書印刷沼津工場様、当時は大変お世話になりました。なので、警備の方に「おはようございます」とご挨拶しておきました(^^;

富士市に入り、間宿の柏原をすぎ、JR吉原駅に近づいてくると「元吉原」という地名が出てくる。後で知ったんだけど、次の吉原宿は何度か移転しているそうで、このJRの駅の付近が「元の宿場」だったんだそう。
そしてこのあたりから大きく右へ曲がり、今の吉原宿(最寄り駅は岳南電車の吉原本町)のほうに進んでいく。
ここまでの海岸近くの道ではそこここに「津波」「海抜」「避難」という看板やサインが目立つ。危機意識、大切ね。

そしてやって来ました名勝「左富士」。今回のさんぽで一番楽しみにしてたポイントなんだけど、「やな予感」が的中。


ホントに何も見えん。あっち側だけ雲雲雲。くっそー、いつかリベンジに来てやるからな、待ってろ富士山。当方「嵐を呼ぶ男」の異名を持っております。そういうとこやぞ。

そして吉原宿のエリアに入るんだけど、そのあたりに「平家越え」という橋がある。富士川の戦いで水鳥の飛び立つ音に驚いた平家が後退した、という逸話の場所(「鎌倉殿の13人」でも描かれましたな)なんだそうだけども・・・ホントにココなのかしらん? 少し疑ってますぜ。というぐらい小川なんだもん。


いかりや長介さんゆかりの吉原を過ぎ、富士市の中心地を後にしてさらに西へ。
それにしても、宿場と宿場の間でも民家が途切れるようなことはない。田園風景もほとんどない。さすが東海道、というところか。まあ扇状地だということも関係あるかな(と地図を見て気づく)

で冒頭に書いた富士川を渡る。
この後も大井川とか天竜川とか静岡怖い(T^T)

そして突如急激な上り坂!けっこうキツい。
と言っても山間部に入るという感じではなくて、高台の住宅地って感じだったなぁ(間宿岩渕付近)。

東海道新幹線をくぐり、東名高速を越えると静岡市清水区。そして一気に下り坂。その先には海が見える。あそこが蒲原宿!

蒲原宿は古い建物もしっかり残されてて、かなりフォトジェニック(笑)。
あと水力発電の管がなかなかの迫力。


さてとここで時計を確認。
晩御飯までには帰るって言ってきちゃったからな。今日はここまでにしよう。


片道3時間以上もかかるところでのさんぽ、本当は泊りがけで2日歩きたかったんだけど、突然思い立って「明日行こう」だと宿が取れなかった。でも前々から予定してて天気悪かったりするとイヤだしなぁ。困った困った。

今回の行程:沼津宿~原宿~吉原宿~蒲原宿。お昼ごはんは富士宮焼きそばか吉原の「つけナポリタン」をねらってたんだけど都合のいい店がなく。つけナポ、提供にお時間かかりますとか貼り紙されてたしね。というわけでケンタでチキンフィレサンド。新蒲原駅は売店すらない駅だったのでおみやげはなし。次回はなんとか桜えびを。
ここまでの行程:[1] 日本橋~川崎宿 [2]~保土ヶ谷宿 [3]~藤沢宿 [4]~二宮 [5]~箱根湯本 [6]~箱根宿 [7]~沼津宿 [8]~蒲原宿


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