2023年11月25日土曜日

翳りゆくひと。[001]

このブログを、今日2023年11月25日に卒寿を迎えた父に捧ぐ――みたいなことでもないのだけれど。
楽しい話ではないし、面白おかしく書ける自信もまったくなし。それでも自分のアーカイブという意味では書き残しておくべきことなのかな、という気持ちで綴っていきたい。
オヤジとオフクロのことをまるで大河ドラマかのように描く、スーパー不定期連載、やや同時進行ドキュメンタリー。


翳りゆくひと。

主な登場人物。
マサさん。わたしの実父。いわゆる昭和ヒトケタ。
あっちゃん。わたしの実母。マサさんの6歳下の妻。
そして、わたし。マサさんあっちゃん夫婦とは遠く離れて暮らしいてる。

[001]

マサさんが仕事をリタイアしてどのぐらい経ったころだったろう。仕事人間だった彼が、一気にボケるんじゃないかという想像はどこかにあった。唯一の趣味らしい趣味だったゴルフも、運転免許の返納とともに縁遠くなり、何をするでもなくソファの上で日々を過ごす。
次第にその想像が、表面化するようなってきていた。

マサさんは堂々とジャケットを着てリビングに登場する。

「どこ行くの?」
「仕事」
「もう仕事してないでしょ」
「そうだったかな」

毎日のことではないにせよ、半ば恒例行事になったマサさんとあっちゃんの朝の光景だった。

ただマサさんは、よく話に聞くような、たとえば徘徊をしてしまうとか、誰彼構わず怒りをまき散らすようなことは全然なくて、新聞読んだりテレビ見たり居眠りしたり、ときどき予定が書いてあるはずのない手帳をめくってみたり、食事は3食しっかり食べて、風呂入って寝る――静かに穏やかに毎日を過ごしてた。
あっちゃんに頼まれると近所のスーパーまで買い物も行ったりしてた。頼まれてないものも買ってきたりしてたらしいけど、特に何か日々の暮らしに問題があるようでもなくて、あっちゃんがうまく手懐けてる、そんな感じだった。

と、わたしは思い込んでた。

そんなころ、世間を騒がせることになった例のパンデミックである。
そもそも、わたしとマサさんあっちゃん夫婦は、距離の近い親子ではなかった。物理的にも精神的にも。
離れて暮らしてる時間のほうがもう圧倒的に長くなってるし、だいたい今彼らが住む街に、わたしは暮らしたことがない。毎月電話して話すようなこともなかった。孫も大きくなってそれぞれの生活があるから帰省するようなきっかけもない。
年に一度ぐらい、わたしの趣味のスポーツ観戦にかこつけて様子を見に行ったりする、そんな程度の関係性だった。
あっちゃんの口癖も「来なくていいわよ」だったし、それに甘えてた部分もあったと思う。
そしてパンデミックを言い訳にして、ますます縁遠くなってしまってた。
マサさんの弟が亡くなったときも、葬儀には「来ないでほしい」という親類の声を素直に受け取って、顔を見ることもなかった。
それで問題ないと思ってた。あの日までは。

2022年夏。わたしの元に一本の電話がかかってきた。あっちゃんの年の離れた妹、つまりわたしの叔母からだった。

「なんか、電気が止まってロウソクで暮らしてたみたいなのよ」

聞けば料金滞納になってたらしいけど、すぐに支払って問題はなかったらしい。それよりもちゃんと親の面倒を見ていないんじゃないのかという、わたしに対する非難が言葉の端々から伝わってくるのが、わたしにはとにかく苦々しかった。

その夜、念のためあっちゃんに電話を入れた。いきなり電気止まったんだって?と聞くと、あっちゃんのことだから逆に怒りそうだ。世間話をしてから、なんとなくふわっと聞いてみた。

「でも次の日すぐに電気来たからだいじょうぶよ」「なんで止まったかわからないけど、でもだいじょうぶ」

あっちゃんの「だいじょうぶ」はきっとだいじょうぶだ。わたしはそう思ったし、実際何も心配しなかった。

[翳りゆくひと]>002


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