なんとなくガッツリとした小説が読みたくなったときにふと目に留まったのが、高村薫「レディ・ジョーカー」でした。
上中下巻で各約500ページ。内容も含めて確かにガッツリでした。
舞台は1990年代前半、東京。
誘拐事件に端を発した、品川に本社を構える「日の出ビール」に対する企業 恐喝 テロ。事件の矢面に立つ経営陣、その周囲にうごめく影。犯人を追う警察、そしてマスコミ。それぞれの思惑。
そして犯人グループの意図、動機、さらには過去の因縁――。
登場人物はものすごく多い。多いのだけれども個々にその心情をていねいに、これでもかと重々しくずっしりと描く。なのでそう混乱することはないし、だからこそ物語の中に吸い込まれるようにして佇む読者としての自分もいるだけれど。
何せ冒頭の200ページ(!)は、ほぼ犯人グループの人物紹介だけですからね。
さらに90年代という時代の空気だけじゃなく、僕には物語の現場となる「場所のリアル」もある。これは幸運だったかもしれないな。
蒲田、大森山王、八潮、大井、平和島。第一京浜、産業道路。大森警察署、ファミリーレストラン・・・。よーく知ってますとも(^^;
事件(物語)に直接関係すること以外は実在の場所や組織。慶應義塾大学とかな。それもまたフィクションの中のリアリティ。
本筋ではないのですが、日の出ビール社長のモノローグで印象に残った言葉をちょっと引用。『節約、小型化、簡素、個人主義などのキーワードでくくられるだろう市民の心理は、物質的豊かさを諦めて精神的充実へ向かい、社会に〈潔癖〉さを求めてくる』うわ!〈潔癖〉を求めるってまさにこれ今じゃん!と驚きました。ちなみに本書刊行は1997年。予言。
さて中盤まで読み進めると、物語の中から犯人グループの影が消える。事件が起こったのだから警察・マスコミ目線ならばあたりまえ、という気もするのだけれど、人物像を細かに刷り込まれてただけに、かえって心配?不安?な気持ちになる。
特にシンパシーなんて覚えたつもりはないんだけどね。
そして。
下巻に入って再びその姿が見えてくる、それはすなわち事件の結末が近いということ。
細かくは書かないけど、何かが崩れていく、露見し始めてしまう。
いや、犯罪だからな、表現としては「明るみに出てくる」なんだだろうけど。
いやだから犯人グループにシンパシーなんて感じてないってば(^^;
全編に漂ってたのはカネの匂い。身代金も万馬券も。バブル後の重い時代。思い出したくないつらさ。つらいわ~。
と、同時にカネだけではなく感じる「生」の存在。命の話。ぞわぞわぞわ。
ひとつひとつのシーンがざわざわぞわぞわするし、「そういう着地」になりそうなイヤな感じも徐々に大きくなってきて。
しっかりと読んできた本の残りが少なくなってしまった事実とないまぜになって、なんだから心の落ち着かない最終盤なのでした。
それだけ物語に入り込めてたということでしょう。すなわち、クライマックスまでとても楽しませてもらいました。
* * *
『「新聞は何を脱線してるのかと言いたい!」』
うん、一課長のおっしゃるとおり。
『・・いろいろなものを失っていくのは仕方ないにしても、失ったあとを埋め合わせるものがないのが老いだ。』
お、おう・・・。
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