2022年6月15日水曜日

2002年6月14日。


あれから20年か。
日本中が熱狂の日々だった「2002 FIFA World Cup Korea/Japan」。そのグループリーグ第3戦、対チュニジア。くしくも20年後の同じ日に、同じ大阪で同じ相手との対戦になった。

20年前って僕はまだこの「外部記憶」という名のブログを書いてなかったから、少し自力で思い出してみようかな。

あれは13日の夜だったと思う。大会のチケット販売を一手に握っていたバイロム社で働いていた先輩から電話があって、「明日の日本戦のチケット1枚あるけど、行く?」と。

「行きます。」

そんなん即決即答に決まってる。
翌朝一番に東京国際フォーラムにあったチケッティングセンターでチケットを受け取り(もちろん有料よ)、そのまま新幹線に乗った。
新幹線の車内から職場にメールをして「休みます」と伝えた記憶がある。ど平日だったんだもん。もう新幹線だししょうがないよね(てへ)。友人にも自慢げにメールを送ったはずだ。
当時の携帯からキャリアメールは送れたのだと記憶している。

長居スタジアムに着いて、チケット見ながら自席を探すと「ここは日本か?」――。
そう、最後に余ってた1枚はチュニジア(の、おそらくお偉いさん)向けに用意されていたメインスタンドの席。周囲はほぼ日本語通じない状況だし、スーツ着てる人ばかりだし、何よりも完全アウェイ(笑)。

試合はモリシとヒデのゴールで快勝。決勝トーナメント進出を決めた。
まわりの皆さん、ひとりで盛り上がっちゃってごめんなさいね。おほほ。

TUN 0-2 JPN

試合後はどうやって帰ったんだろう。
同じ試合をガールフレンドと見に来てるはずの別の先輩に合流できないかメールしたのは覚えてるんだけど、確か返信なかったんだよな(そりゃそうか)だから特に何もなくまっすぐ帰ったんだろうな。だから思い出は以上(^^;

(2022/06/18追記)
友人からご指摘いただきまして、試合後のことを思いだしたり。その友人(6.14がお誕生日でした)もこの試合を現場で見てて、合流→居酒屋→チュニジアサポと絡み、という流れだったことを思い出しました。忘れててホントごめんなさいm(_ _)m

*  *  *

この大会は全部で5試合、現地で観戦できた。ホント幸運だったよね。

[1]6月4日 GroupH #1 JPN 2-2 BEL
午後半休取って埼玉スタジアムでの日本代表初戦。これ、大会スポンサーのジレット様のキャンペーンで当選したんだよね。なんという幸運。ちなみに座席周囲のサポーターはみな男性だった。だってヒゲ剃り(笑)。以来僕はヒゲ剃りはずっとジレット様を愛用。

[2]6月5日 GroupE #2 GER 1-1 IRE
この試合だけは事前の申し込みで普通にチケット取れてた。2日続けて休んで大丈夫だったんだろうか俺。息子1号はどなたに預かっていただいてたんだろう(覚えてない)。
カシマの国までは当時の愛車ミラージュエボゴン偽)で行った。とにかくアイルランドの折れない心に感動してしまったのです。完全に心奪われました。ロビー・キーン!ダミアン・ダフ!

[3]6月11日 GroupE #3 KSA 0-3 IRE
当時の弱々しいネット環境で、チケットサイトが「ミカンになった」「メロンになった」と大騒ぎしてたのを思い出す(場合によっては韓国まで見に行くことまで考えてた)。そしてなんとか追加で取れたのがこのゲーム。先日の試合でファンになったアイルランドにまた会える喜び。同僚と新横浜に行って、そしてアイルランドサポーターの大酒飲みっぷりを初めて目の当たりにしたのがこの試合。後にRWCでもアイルランド戦を見る。これもまた縁。
新横浜の露店でバッタもんのアイルランドユニ買った。3000円ぐらいだったと思う。

[5]6月24日 SemiFinal BRA 1-0 TUR
チュニジア戦のチケットを手配していただいた先輩を、埼玉スタジアムにご案内する、という名目でご相伴に預かりまして。イルハン王子も出てたよ(笑)。
結果的に決勝戦を戦うドイツとブラジルの両方の試合を見たんだねぇ・・・すごい。


この2002年大会から僕の日本代表熱は少しずつ下降していくことになる。1998フランス大会や2000シドニー五輪のころはそこそこのモンだったのにね(^^;

でも今もちゃんと追ってますよ。2022年6月14日のキリンカップのチュニジア戦もちゃんと見てますしね。


現代表については気が向いたらブログに書きます。気が向いたら。


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