2026年3月31日火曜日

明日から新年度。

年度末、あと半日。がんばれ俺。

とか言いつつ、年度初めのほうがヤバそうな予感がぷんぷんしとる・・・・(涙)。



2026年3月30日月曜日

ワクワクさせてよ。

3Q残り4分半、50-48とアスフレリードの場面から後の記憶がありません・・・・嘘です(涙)。

●東京Z 59-90 立川

でも3Q半ばでそこまで競ってて、最終的に30点差ですからねぇ、記憶もなくしたくもなるって(号泣)。

上位相手でそんなに簡単だとは思わないけれど、たとえば厳しいディフェンスからいいターンオーバーを奪うシーンも多くあったように思うし、高さの不利の中、よくやったように思うのね。
でもそれ以上にイージーなターンオーバーも目立ったように思う。

3Qの逆転のシーンだって、相手の攻撃が完全に停滞していたわけで、逆転どころか大量リードに結び付けられててもいい時間帯だったと思うのね。
でも悪い流れにお付き合いしてしまった。一瞬の逆転劇を見せて、そこで使い果たした、そんな感じだったかな。

正直に言えば、あそこまで行ったならラストまで競り合うゲームが見たかった。

でも。

僕はジェスのダンクを目撃したよ!!それはしっかりと書き残しておきたい。


迎えたGame2はその見たかった「最後まで競り合うゲーム」を見せてくれた。いや、「ある程度最後まで」って注釈付きか。
まさか残り4分で20点いかれるとは思いもしなかった(泣)。

●東京Z 76-102 立川

最終的にはロスター含めた実力差(あまり認めたくはないが)が露呈しちゃったかな。

ただ、こういう展開、特にこの試合は序盤はリードしていたし、こういう試合を続ければおのずと勝利にも近づくのかな、なんて思う。

ただその「こういう試合」の具体的なイメージが湧かないのもまた素直な感想でもあって。
シロートはつらいぜ(違)。

でもさ、「どうにもならない」じゃなくて「最後までワクワク・ドキドキさせてくれる」ってのは、結果以外でとっても重要だと思うんだ。エンタメとしてね。

・・・そんなことを思う週末でした。


2026年3月27日金曜日

翳りゆくひと。[141]


[141]

N銀行とM銀行から相続のための提出書類等の説明が届く。その分量から、そう簡単には相続させませんよという強い意志を感じる。
提出書類には「原本」という単語が並んでいる。遺産分割協議書は土地の登記のために1部を司法書士に送付済みなので、あと1部しか手元に残っていない。つまり1件ずつ処理をしていかなければならないということだ。
とりあえず記入できる書類は記入を進めておこう。

9月16日。仕事を抜け、アポイントを入れておいたF銀行の窓口まで出向く。

「こちらが記入した書類、それから遺産分割協議書と戸籍謄本です」
「確認させていただきます」

しばらく書類を見ていた担当の方がおもむろに口を開く。

「戸籍謄本、これではないんです。出生から死亡までの連続した戸籍謄本が必要です」
「いや、この謄本にちゃんと出生日と死亡日が記載されていますよ」
「これではだめなんです」

この「連続した戸籍謄本」というのがポイントで、出生から死亡までの本人の歴史をたどるものではなく、相続人を確定するためにどうやって生まれてきたのか(親)、婚姻などの関係者は、などすべての情報が途切れることなく記載された戸籍、つまり1通の本人の戸籍謄本ではなく、関係者すべての戸籍謄本の「束」ということのようなのだ。

「話はわかりました。書類不備だということも承知しました。ですが、そういう説明は一度たりとも受けていませんし、いただいたご案内にも書いてないですよね。銀行の方々は日常の業務として当然の言い回しなのかもしれませんが、こちらは初めてのことです。出生とか死亡とかの一般的な言葉を使っている以上説明不足だと思いますし、あまりにも不親切ではありませんか」

怒っても手続きを進めてもらえないことはわかっているが、言いたいことはしっかりと言うべきだと思った。

「おっしゃるとおりかと思います。きちんとしたご案内ができておらず申し訳ありません。昨今は広域で戸籍が取れますので、お近くの区役所などで取得していただいて簡易書留でお送りいただけないでしょうか」

切手の貼られた封筒を受け取り、わたしはF銀行を出た。
手続きが完了しなかった残念さはあるものの、当初からそう簡単に事は進まないという認識もあったので、「まあそういうこともあるか」という程度の心持ちである。

翌日、再度仕事を抜けて職場近くの区役所の戸籍係の窓口に出向く。案内係の方に「相続のための連続した戸籍が必要なのです」と告げるとスムーズに記入書類を示してくれた。

発行部数は2部と書いた。
別の場面でも必要になるであろうから予備として。

「こちらなんですが、他の自治体のぶんなので発行までに4時間ほどお待ちいただくことになります」
「そうですか。夕方また来たいと思います」
「本日中に受け取っていただかないと無効になりますのでご注意ください」

いったん仕事に戻り、夕方早退の届けを出して再び区役所に。

「はい、こちらが連続した戸籍ですね。全部で7通になります」
「こんなになるもんなんですね」
「いえいえ、これでも少ないほうですよ。離婚とかされているとどんどん枝分かれしていくので」

7通×2部。6900円という想像以上の手数料を支払い、その足で郵便局に。本局ならまだ郵便窓口が開いている時間だ。

「簡易書留でお願いします」
「ではあと70円ですね」

F銀行で預かった封筒に貼られていた切手では額面不足だった。

140<[翳りゆくひと]>142


2026年3月26日木曜日

子育て卒業式。

息子2号が大学を卒業した。

ヤツはもう2ヶ月も前に家を出ているので(という話は→こちら家族の今の生活に何か変化があるということはすでにないのだけれど、いよいよ来月から社会人になるということで、この卒業式をもってある意味「子育て」は終わりになったのかな、という感慨がある。
誤解のないように申し添えると、親としての責任を放棄するわけではないですよ、と。


そんな思いもあって、卒業式に家族という立場で参加させてもらってきた。

あれだね、自分の卒業式のときの来賓の挨拶なんて何も心に残らなかったけども、今だからこそ「そうそう」みたいな気持ちもあって、思わず拍手が出てしまいます。
そうちょーもありがとうございました。いいお話でした。

僕自身は男親が入学式やら卒業式やってくるなんて気恥ずかしいみたいな気持ちがあったので、息子たちが年頃になってからはぜんぜんこういう式典に出席することはなかったんだけど(今どきの親としては珍しいタイプだと言われたこともありますが、自分にとってはこれがナチュラル)、今回は「自分の卒業式」とも思ったので、息子2号に直接確認した上で出席させてもらった。

20数年前、右も左もわからないまま「親」という立場になって、大なり小なりいろいろなことがあって、長かったような短かったような。

――ふと思い出すのですよ。無条件で可愛かったあのころとかを(笑)。

卒業おめでとう。4月からもがんばって。
そして僕たちに、お疲れ様。

(追記)
翌日、息子2号からメッセージが届いた。学位記を持った写真を添えて『昨日は来てくれてありがとう』と。泣く(T^T)


2026年3月25日水曜日

志賀高原に行ってきたぜ。~後半戦~

(志賀高原サイコーだったぜ、という前半戦からのつづき)

空いてた。

季節が春に向かう中、ゲレンデがとにかく空いてて。特に“JAPOW”の季節が終わったからかインバウンドの方が少なくなってる印象だった。

となると気分はゲレンデ独り占め!

たとえば一ノ瀬ファミリーの急斜面や、奥志賀の第二(今は違う名前になってる?)なんかの長いコースをそれなりのスピードでノンストップで気持ちよく滑るなんてこともできる。
左右に気をつかうこともないのでコンディションの良さとも相まって、それはそれは気持ちがいい。

メンバー。

今回一緒にいった3人組は、本当に古くからのスキー仲間で、ゲレンデで一緒にすごした時間がとにかく長い。体力レベル、技術レベルも変わらない。

「このメンバーだとやっぱりペースが合うわ」

思わずそう口に出してしまうほど。
たとえばゲレンデのどこまで一気に滑るかとか、どこで止まるとか、少し息を整えようかとか、わざわざ言わなく合えてる。

いろんな人たちと滑るのはもちろん楽しいのだけれど、純粋にスキーを味わうという点において、このメンバーだというのが非常に大きいと思っている。いつもありがとね。

技術的なこと。

楽しめてるからこそだと思うけど、個人的な技術面も今シーズン一番の出来だった、と思う。まあバーン状況が良かったことはちょっと割り引く必要はあるかな(^^;

基礎スキーの技術という点において、いわゆる「正解」ってあるんだと思う。ただ、もはや僕にとってはそこではない、自分なりの「こういうふうに滑りたい・感じたい」みたいな個人的な解がぼんやりとあって、それに近づいていくことこそが目標になってる。

そのためにシーズン前のイメージトレーニングから考えてたこと――言葉にはしにくいんだけど外スキーの上に外腰が乗っていきつつ圧を加えていくようなイメージ。曲げ荷重とも違うんだけど――に、少しずつ近づいたなという実感があった。うれしい(はぁと)。

特にショートターンが良くなってきた。
外足中心にサイドステップ的な運動(?)を意識しているのだけども、外を意識することで内足も邪魔になるどころか自然に使えるようになったのは副産物。

奥志賀第二を上から下まで中ターン/ショートターンそれぞれノンストップで降りられた(両手が痺れるほどフィジカルはギリギリだったけど)のもその結果だと思ってる。もう来シーズンが楽しみです(笑)。

2日目も晴天なり。

余談。1日目の夜、部屋でまったりしてたとき、『今朝志賀高原一ノ瀬スキー場でスキーヤーとスノーボーダーの衝突事故があった』というニュースが飛び込んできた。朝9時半すぎの出来事だったらしい。そのころ、ちょうど近くを車で通ってた時間帯だ・・・。

「あっ!」

3人全員があるシーンを思い出した。少し凍結気味のジャイアントのトンネルをすごいスピードで下って行った救急車のことを。思い出して本当に鳥肌が立った。比喩じゃなくてね。

あの空いてるゲレンデで、不幸にも事故に遭われたスキーヤーは同世代。自らをも省みつつ、やはり安全が第一であると思いを新たにいたしました。


2026年3月24日火曜日

勝っちゃってよかったのに。

「あるぜアップセット!」

24時間ぶりにそう思ったんですが。
なにせ前夜よりも僅差で追いすがる。この点差ならワンチャンスで!・・・・なんて夢見ちゃいましたよ。
点差が詰まるたびにあの6番とか9番とか(どっかで見たことあるような気がするなぁ)にズバっとやられて、結局一度たりとも追いつくことができなかった。
●東京Z 59-69 香川

遠慮せずに逆転して勝っちゃってよかったのに。などと。

ロースコアはアスフレのゲームだと思うけど、その展開でも流れを渡してくれなかった。悔しいがそれが実力差か。

実力というか遂行力?
特にジェレミーがボールを持ったら迷うことなくファウルに来てた気がする。確率の問題もあるし、疲労にさらにストレスを加えようという意図というか、よくわからんが、これも連戦の難しさなのかな。


シーズン終盤に言うことじゃないかもしれないけど、この戦いを続ければおのずと勝利は積み重なると思うよ。
そのためにもまずはリカバリーを。

・・・・勝っちゃってよかったのにな。


負けていいわけじゃないけども。

「あるぜアップセット!」

そう思える展開に持っていけたなってのは、言葉は難しいんだけど「良かった」なと。
特に3Qは本当に可能性感じたよ。6失点ってすごいぞ。

でもさすが上位、競っても崩れてくれなかったね。これが地力の差ってやつか(涙)。

●東京Z 52-74 香川

ただロスターも厳しい状態での戦いだから、最後は体がついていかず心が間に合わず、そんな感じだったかなぁ。

負けていいなんて口が裂けても言わないけど、がんばった、とそれだけは言っておきたい(←俺、やさしい)


欲を言えばあれが40分続けば。
っていうか、Game2、勝ってもいいのよ。ねぇ、そうでしょ?

平日のホームゲームが、実際のホームから遠く遠く離れた場所っていうのは厳しいねえ。


2026年3月23日月曜日

感覚的に気持ちが悪い負け。

僕がめちくちゃ濃い目の色眼鏡をかけているとは思いますが――しっかりと勝ち切った上でキックオフ直後から足裏で削ってきて、イエローカードの基準を曖昧にしてしまって選手を危険にさらすやり方も、それに惑わされる審判も、マジいや」って書こうと思ってたんです。でも勝てなければただの遠吠えの暴言。すいません。

●浦和 1-2 町田

自滅したような感じでもなかったんだけど、結果的に握ってた流れをどうぞどうぞと手放したようにも感じられる。ちょっと感覚的に気持ちの悪い敗戦。

スムーズにビルドアップしながらアタッキングサードに入った瞬間に勝手に手詰まりになる、みたいな。
相手を裏返してチャンスを作ってみたものの決定機にはならない、みたいな。

エアポケットのような瞬間が来ると確実に失点してしまう、みたいな。

さまざまなトライのできるこの特別なシーズンにおいて、選手を代え、配置を変え、いろいろやってるのはわかるし、それが効果があるようにも見える。でも結果につながっていかない。


困りましたなぁ。でもこれが「変化の途上」ということなんだと信じたい。


2026年3月19日木曜日

小さな進歩。

勝利に向かって応援し続けた方々には申し訳ない言い方になるかもしれないんだけども、僕はこの試合、すごく楽しめたんだよね。
もちろん勝てればより楽しかったのは間違いないところだけど、ちゃんと勝負できたって思って。そのことがうれしかったから、試合が楽しかったのです。


前年と比較するのはナンセンスだということは十分承知の上で言えば、去年の柏戦って「浦和レッズつらい。」と「浦和レッズしんどい。」だからね。よくやったよ、って言ったら褒めすぎですか?
僕は小さな進歩だと思うんですよ。


まあ最後の最後、肥田野早川照内で勝ち越せたら泣いちゃう準備はできてたけども(^^;

PK戦は時の運のみ。外した選手はもとよりファン・サポーターも含めた「We」は気にする必要まるでなし。


2026年3月18日水曜日

志賀高原に行ってきたぜ。~前半戦~

最後に志賀高原でスキーしたのっていつだろう。
このブログを検索してヒットしたのが2009年4月・・・・って17年前やん!
しかもこのときは熊の湯だったので、蓮池・ジャイアント・一ノ瀬・奥志賀エリアは行ってないわけで、20年ぶりぐらい??

行きたいなとはずっと思ってて、それが今回ようやく。そして・・・サイコーだったんすよ!

コンディション。

いやもう天気サイコーで。そもそもワタクシ、晴れることが少ないタイプ――世間からは嵐を呼ぶ男と呼ばれております――なのに、空が真っ青で!!

いや、それ以上に最高だったのがバーン状況。
昨今3月も半ばになると春の雪、そろそろシーズンも終わりかねぇみたいな雪質(簡単に言うと滑りにくい)になっちゃんだけど、標高の高さと冷え込みと・・・・サイコーでした!

晴れてるのに気温は低く、しっかりと締まった固いバーンの上に少しだけ、ほんの少しだけ新雪が乗ってて。
固いといえどしっかり圧をかければわりとイージーに板がグリップする。深くカーヴするほどでもなく、でもしっかり彫り込めている――滑りながら振り返って自分のシュプールを見届けたい、そんな状態(伝われ)。

特に朝の1本目の快感度たるや。

「いやーん!さいこーーーーーぉぉぉ」

まるで優勝した選手のように叫びながら両手を高々と突き上げましたね(お恥ずかし)。

日中の気温とか標高とか、時間帯や場所によって状況は少しずつ変化はしたけれど、この時期にこれだけのコンディションでスキーができたこと、最高以外の表現が見つからない。
荒れてきてもなんかすっげー滑る雪なんよ。

思い出。

志賀高原といえば、ホームゲレンデとは呼べない存在ではあるけれど、自分のスキーヤーとしての人生(大袈裟)に欠くことのできない思い出が山ほどある(山だけに)

今回は焼額山を起点にして、スキーを履いたまま滑れるエリアを、ツアーと称して滑って回った。
  • 学生のときの引退のセレモニーがあった一ノ瀬ファミリー(あのゲレンデのレストハウス?はなくなってた)
  • 記憶があいまいなぐらい集中して挑んだ急斜面種目の大会バーンの寺子屋は、その大会バーンに架かってたリフトは撤去されててゲレンデとして機能していなかった。
  • 大会で、今思うと超絶難しい(意味わからないとも言う)緩斜面種目を演技したブナ平で、当時っぽく滑ってみたり(制限滑降を滑った通称「ブナ急」には木が植えられてた)
  • 先輩たちの活躍を見て、自らは検定会で撃沈したジャイアントスキー場はやっぱり急斜面で(大会やってたんで半分ぐらいしか滑れんかったわ)
  • 上から下まで滑り切ることに憧れてた丸池Aコースは雪不足で閉鎖中(ざんねん)。
  • 指導員養成講習会で練習したサンバレーのメインじゃないバーンはリフトも撤去されてもはやゲレンデではなく。
  • スラロームに出場した西館山はガスがかかっててちょっとパス(^^;
  • 東館山の卵ゴンドラはブナ下(!)に移設されてて(やってきた搬器を見て「卵じゃない!」って言ってたら「卵待ちます?」と係員(美人さん)に言われたww)、東館山のゴンドラからは懐かしの温泉旅館(すでに営業しておらず)を見下ろして。
  • 2シーズン続けて怪我をした苦い思い出がある高天が原は、とにかく安全運転で滑って(^^:
古いアルバムの中に、思い出がいっぱい。

ブナ平で緩パラの外向傾を作ってみるなど。

後半戦に続く)