2022年1月14日金曜日

さんぽニスト、旧品川みちをゆく。

正月ですし、いろいろお願い事もあるので、お参り行かなきゃと思ってて、そうだ武蔵国の総社である大國魂神社に行こう、と思い立ちました。

朝の境内は人影も少なく、空気も冷たさもあって非常に厳かに感じます。二礼二拍手一礼。何卒よろしくお願い申し上げます。どうかひとつ。いやマジで。


参道長いですねぇ。元日とかここに人が列をなすのか。さすが東京五社の一社。

さて、せっかく府中宿まで来ましたから、歩きますかね(脈略がなさすぎるw)。まずは以前歩いた旧甲州街道を逆向きに東府中の駅前まで戻って、そこから旧甲州街道の一本南側の「品川街道」に入ります。
品川街道、品川通り、品川道、旧品川みち、と呼称が場所によって変わります。


品川みちは、そもそも大國魂神社のお清めの水を品川から運んだ道だそうで、府中と品川を結ぶ物流も担っていたとか。往路は多摩川を使ったことから「いかだ道」とも。知らなんだねぇ。

それにしても空気が冷たい。東京に雪が降ってからもう数日経ってるのにまだまだ路面が凍結してる。さんぽだというのに気が抜けない(笑)。
おまけにちょうど朝日が真正面から。猛烈に眩しいぞ・・・寒いのでニット帽かぶってたんだけど、はたと気づいてベースボールキャップに替えたら、そんなに眩しくなくなった。つば偉大(^^;

スポーツファンおなじみの飛田給駅(浦和サポ的にはアウェイの地)の手前で旧品川みちに入り、駅前からは京王線の南側に。
ところどころ田んぼがある以外は本当に何の変哲もないただの住宅街。それでも歩いていると「しっかり一本につながってる」という実感がある。不思議だけれど、目で見るとなぜかそう思う。それが歴史ってことなんでしょうかね。

調布の市街地で「品川通り」に合流。何かの用事でこのあたりに来たことがあるんだけど、さてなんでしょう。まったく思い出せません(汗)。

国領から狛江へと旧道を進み(相変わらず景色に変化を感じない)、世田谷通りを経由して喜多見。世田谷区にインです。このあたりで「品川街道・みち」といった呼び名は出てこなくなります。道路が整備されたりする際に名称が変わったりしたのでしょう(たぶん)。結果、品川とはまったく関係のないところにだけ「品川みち」がある妙なことになっちゃってるんですね。

そうそう、世田谷区に入るのとほぼ同じくして道が凍ってるところがなくなりました。だからなんだということではないですけど(^^;

さてこのあたりまで来ると土地勘が出てきます。新鮮味が薄れるということでもあるんですが、でも「歩く」と必ず「気づき」があります。それがさんぽ好きな理由なのです。

バスケ観戦に来たこともある世田谷区立総合運動場その1その2をかすめ、ついに環八に合流。「大都会や・・・」と雑な感想(^^;

等々力から田園調布にかけて、どうやら品川みちは消失しているようで、旧道に近いと思われるところをカクカクと進んだら、なんとン十年前に住んでたアパートの前を通過して驚く。何よりもまだ現存してたことにビックリだ(笑)。


田園調布駅。調布経由で田園調布、なんてな。


田園調布からから石川台に抜け、中原街道に。洗足池を横目に長原駅のところから路地(商店街)に入る。
あとで地図を見て驚いたんだけど、ここから品川宿まで、環七も二国も一国も突き抜けてほぼ一本道ですよ。これが名残ということなんですね。

とか言いながらも、このあたりは実は日常のさんぽエリアなんでガチで新鮮味ありません(^^;

でも途中で止めたりしません。だって今日は目的地があるので。それが品川寺(ほんせんじ、です)。品川の地名の由来となったとされるお寺で、東海七福神の毘沙門天が御開帳されてるのです。
余談ですけど、JRと京急の品川駅は品川区ではなく港区にあるというのはわりと有名ですが、品川宿の北側に位置する京急の北品川駅よりもさらに北に位置しているというめちゃくちゃな配置になっております。

大井町から仙台坂を下り、青物横丁駅の先で旧東海道の品川宿に突き当たります。
旧東海道を右に曲がってすぐが品川寺
今回の品川みちのさんぽはここをゴールにしましょう。
このエリアも府中・調布同様にFC東京の幟がありまくるんだが、品川みちつながりだったりして。


しっかりと手を合わせてお参りをさせていただきました。勝手ながらまたいろいろお願い事もしてしまいました。何卒よろしくお願いします。ぜひとも。
もちろん今日の無事の御礼も。ありがとうございました。


今回の行程:甲州街道府中宿~東府中~調布~狛江~喜多見~岡本~瀬田~等々力~田園調布~石川台~長原~馬込~大井町~東海道品川宿。朝も昼もコンビニおにぎり(なんか悲しい)。


0 件のコメント: