2023年10月13日金曜日

次回のために自戒をこめて。

リスペクト、って言葉がどうも最近、ね。

他者をリスペクトするという考え方自体はまったくもってそのとおりだと思うのよ。異論なし。
でも今、言葉が独り歩きしているというか、リスペクトの押し付けっていうのかしらね。「あいつはリスペクトが足りない」って誰かが声高に言う、それこそ粗探しするかのような監視社会に向かってってるように感じてしまう。

そこに透けて見えるのが、自分と同じように考えないヤツは問題だ、という意識。
それってさ、多様性を認めないっとことと同義では?と思うわけです。

リスペクトの根っこの部分には、「違いを認める」があると思うんだけどね。

そして「あいつ」という呼び方、往々にして「あいつら」そして「自分たち以外」とどんどん主語が大きくなっていく。なんじゃそりゃ、と。
そもそも相手を呼ぶ呼び方に敬意を感じませんよ。

以前このブログでこんなことを書いた(元ブログはこちら

『多様性を認めるっつーたって、「あーこういう人もいるのね」と“認識”するまでだからね。必ずしも“共感”するとはかぎらないし、その必要もないんだから!!

「私に共感しないなんておかしい」とか理解不能でござる。』

ましてや“敬意”である。同じになるわけがないのです。

なんか悪い意味での「意識の高さ」がね。
昨今流行りの「論破」なんてのもこの文脈の上にありそうだ。


でも突っかかられるとさ、こちらだって腹も立つ。「ヘンなのが湧いたな」とスルーできればいちばんいいのだろうけど、ムカつくもんな。

「俺もリスペクトが足りねぇなぁ」とは思います。
今後は頭ん中で思っても口に出さないように気をつけよう。と反省してみてます。

・・
・・・

頭の中で菅原文太さんが問いかける。『敬意って何かね。』と。©「北の国から '92巣立ち」より
・・・いやそれ誠意だから(^^; 

なんで急にこんなこと書いたかって?
まあ「界隈」の話なのでお気になさらず(^^;


ちゃんと推敲もしてないしなんか支離滅裂だなぁ。


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