オリンピックに出場し、ましてやメダルを獲得するなんて、本当にひと握りにも足りない、わずかな選手だけ――。あたりまえのことだけれどちょっと忘れてしまいがちな事実である。だってテレビでメダリストを日々見てるんだもん(^^;
このシリーズはタイトルに「行こう」が付いている以外の共通項はとても少ないと言ってもいいんじゃないかと思うけど、それでもあえてくくるならば“仕事する人と場”の物語なのかな、と。
なのでこの本もタイトルどおり、スポーツ小説であるけれど、それを生きる糧としているという意味では共通なのかな、などと思ったりもしている。
それほどまでにオリンピックとは生活を賭して取り組まなければたどり着けない場なのだと思う。それを目指す、3つの物語。
個々の物語はすごくおもしろいし興味深い。競技者は勝者と敗者というラベルだけで語られるべきものではなく、それぞれひとりの人間であり人生がある、そのことがしっかりと伝わってくるから。
だが、それでもなお強烈に伝わってくるのは、描かれる競技シーンと競技者としての内面だろう。
取り上げられるのは、卓球、競歩、ブラインドサッカー。
どれも実際に何が起こっているのかわかりにくい競技かもしれないなと思う。
卓球ならばその速さによって。競歩ならばその心理だったり技術が。ブラインドサッカーならばその感覚が。
それを言葉として体験したかのような感触が残る。
たとえば卓球の競技シーンでの言葉の速度感。卓球の話が本書全体の約1/2を占める。
フォア前、フリック、チキータ、ツッツキ、ストップ、ブロック、YGサーブ、下回転、表ソフト、バックミドル・・・スポーツ観戦マニアと自認している自分としては、ひとつひとつの言葉は理解しているつもりだ。
だけどそれが矢継ぎ早に繰り出されると――まさに競技を見ている速度で――はっきり言って、何が台上で起こっているのか、具体的にはイメージしきれない。でもそれでいい。だって、TOKYO2020で味わったもん。解説者の繰り出す言葉が複雑すぎて理解が追いつかなくても、そのすごさは伝わってくる、興奮はやってくる、と。
それが文字となって流れ込んでくるのだ。
巻末の謝辞で、解説でおなじみの宮崎義仁氏の名前が挙げられてた。納得。
たとえば50km競歩での、限界を超えたと思ってしまった選手の心理状態。
『あとは流して歩くだけ(略)自分に似合った幸福を見つけながら(略)自分の器量に折り合いをつけながら人生を歩んで』
そんなん泣いちゃうやん。まさにひとりの人間であり人生だ。
それでも競技というのは『一点ずつ積み重ねていくしかないのだった』。
TOKYO2020の興奮がまだ残っているうちに、ぜひ。
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余談ですが、競歩の主人公の所属する実業団チーム「ヤマキタスポーツ」が、改行の妙で行頭が「マキタスポーツ」になってるとこがあって、こっそり笑った。狙ったのは著者か編集者か。
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