『この学校の教室はすべて、黒板に向かって左手が窓、右手が廊下になっている』
本全体の半ば過ぎ、この文を読んで、自らの学校生活を思い出す。曖昧な記憶ではあるけれど、小学校も中学校も(転校してるので、それぞれ複数の学校だ)、高校も、どこも左が窓だった。右が窓というところはなかったと思う。大学でもいわゆる大教室や、10数人で満席になるような小さな教室を除けば窓は左。
左が窓というのがスタンダードだとすれば、これをわざわざ書いたということは、何かのヒントになるのかな――?
と、どうでもいいことにも引っかかってしまったのは、冒頭からさんざん「ぬあああそこ気づかなかったぁぁ」というのを繰り返してきてたからで(笑)。
冷静に考えるにたぶん左から光が入ったほうが字を書くときに手の影にならないから、だと思う。右利きの場合だけど。
というわけで、米澤穂信「本と鍵の季節」を読んだ。
主人公は2人の高校2年生。図書委員だ。
進行役が堀川で探偵役が松倉、というのが基本的な立ち位置なんだろうけど、どうもそれだけじゃなくて堀川も非常に鋭利な人物として描かれている。ふたりでひとりの探偵、のほうが近いかしら(^^;
物語は彼らの周辺で起こる(巻き込まれる?)日常の謎――というよりはもう少しヘビーな「ほぼ事件」ですけどね――が描かれる。
象徴的に描かれるのは「本のある風景」と「何かが隠されているところの鍵」。比喩的な意味だけでなく、物理的な鍵も意味している。
読み進めると前述のように「ぬああああ」と頭抱えるところが多々発生するほどミステリーとして気持ちよく裏切られたり騙されたり感嘆したりと、たいへんおもしろいわけですが、それだけでなくて、タイトルの「季節」という単語に象徴されるような、なんとも短くてはかなくて、少しふわふわしてるような、世の中のすべてがわかっちゃってる気がしてたあの年代っぽい甘酸っぱさ――語彙不足が悲しい――がたまらんのです。
短編の連作、とい形態なので、作品の中でも徐々に時間が経過していく。つまり「季節が移ろう」のだ。
その時間経過の中で、堀川と松倉の関係性にも微妙な変化が生まれてくる。図書委員としてただ知り合った同級生から、軽口をたたき合う仲になり、やがて目の前の問題に立ち向かう友に。そして、さらにその先ははたして。
繰り返します。「たまらん」。
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