“この小説は、警鐘だ。”
もしPOPを書くなら、そんな感じかな。
超高層ビル火災を描いた五十嵐貴久「炎の塔」を読了。
はじめは小さな“アラーム”だった。
消防士の部屋で起床のアラームが鳴る。ビルのコントロールセンターでも誤動作のアラームが。
少しずつ刻まれる時間経過という名のカウントダウン。
その時計とともに高まる緊迫感と不安感。まだ何も起きてないのにドキドキするぅ。
『限りなく低い(略)はゼロとは違う。絶対ではないのだ』
巨大であるがゆえに、集まる多種多様な人々。
巨大であるがゆえに、そこに働くそれぞれのプロフェッショナル。
巨大であるがゆえに、タワー側も消防がも複雑化する体制、そして権限の集中。
まるで生き物のようにじわりじわりと巨大タワーを覆っていく炎――。
“警鐘”は、火災そのものへ向けられたもの。それだけではなく、ある意味人間の傲慢さに向けられていたように思う。
逆に謙虚さを持ち合わせる人間に対して描かれるのは、強さ、だろうか。
極限状態に置かれたときに発露する本当の姿――まさしくパニック作品の幹だと思う。
いやー、とにかく肩に力入っちゃうし、読んでて疲れちゃいますよー(←喜んでる)。
あまりのサスペンスに主人公のラブロマンスのこと、忘れてましたよー(^^;
とにかく文字が頭の中で映像化されて、それが崩壊していく怖さったらとんでもないです。
この「巨大なキャンドル」は、その意味で非常に映画的だなとは思いましたが、映画よりも想像力を掻き立てられるぶん、小説に軍配!って気持ちになったね。
500ページ超をイッキ読みでした。最高級のドキドキをいただきました。次作も早く読みたいですっ!
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余談。風船が割れて人が出てくるとか、ブブゼラ(もはや死語っぽい)とか、五十嵐先生、サッカーお好きですよね?
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