2018年4月10日火曜日

聲の形。

今回今さらながらに見てみた映画は「映画 聲の形」、アニメです。原作はもちろん未読です(^^;
こえのかたち、つまり“手話”ということでいいかと思います。

感想を書こうとすると、どうしてもネタバレになってしまったので、ご注意を。

心を閉ざすようにして生活している男子高校生。
そうなったきっかけは小学校時代の出来事。聴覚障碍を持つ転校生の少女を、退屈まぎれに“からかって”――無自覚で無慈悲なイジメである――いたのだが、あることをきっかけに彼自身が孤立することになる。後悔と反省とそして少女への思いと。消化できない思いを抱えたまま年月が過ぎていた。

そして今、再びその少女と出会い、当時のクラスメートたちとも再会をすることになる――。

聴覚障碍って見た目ですごくわかりにくい。わかりにくいがゆえに誤解されることがある。その最たるものが「わかってると思ってた」ということ。聞こえてなかったということが認識されにくい、そういうわかりにくさだ。
と同時に、聴覚障碍は発声も難しい。つまりコミュニケーションそのものの難度が高いということにほかならない。

障碍そのものではなく、そういうディスコミュニケーションこそが障壁なのだと。
偉そうな言い方だけど、知識とか啓蒙とか、この作品によってそういった認識が広まればいいなぁ。くしくも放送中のNHK朝ドラでもヒロインに聴覚障碍が。

ただ一方で、障碍うんぬんではなく、思春期の複雑な心情をそういうモチーフの中で描いた作品、という見方もできるかもしれない。
何しろ、主人公以外の心情描写が可能なかぎり排除されている。つまり主人公の心情以外は、見ているこちらも想像することしかできないということだ。

誤解、思い込み、ぬか喜び、錯覚。

思春期にかぎらず、真にコミュニケーションが取れることの難しさってあるもの。

だからこの映画は、とっても「いい話」のように感じることもできるし、主人公の自己満足でしかないじゃないかって感じることだってできる。

どう感じるかは、わたし次第。そして、あなた次第。

ただ、一番心に残ったこと。
「またね」と伝えられる相手がいるのはとても素敵なことだと思うのです。

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