そうならないように意識はしてるつもりだけど、どうしても選ぶジャンルや作家さんは「偏食」になってしまいがち。
だからときどきは誰かのおすすめに耳を傾ける。
それは書店のPOPでもいいし、新聞の書評欄でもいいし。
さすれば食わず嫌いもなんのその。
中でも、大好きなあの人に薦められた(と勝手に思ってる)「小泉今日子書評集」は僕の読書体験の中でもひとつの大きな位置を占めていると思う。意外な世界をたくさん見せてもらった。
この書評集をきっかけに読んだ一連の本の話は→コチラ
今回も、大好きな人の本棚を拝見させていただくような気持ちで、穂村弘「きっとあの人は眠っているんだよ 穂村弘の読書日記」を手に取った。
確かに「本棚は拝見させて」いただいた気がする。でも、それはあまりに自分の現実からは遠すぎて、おすすめいただけたかどうかはかなり難しいところ。
たとえば本気の古書だったり、古い古い漫画だったり、入手困難っぽい詩集や歌集だったり絵本だったり。そりゃまあプロの本棚だもんなぁ。
そもそも書評から少しだけズラされたような、エッセイだと思ったし(まさに読書日記だ)、それが単純におもろかった。結局いつものように「ほむほむの楽しいエッセイ」として読んじゃった気がする。
ある本やある文章に対してほむほむの心がどう揺れたのか、元の文章のことをわからずとも「ふむふむ」と楽しく読ませてもらってしまったのだ。いや、ホントおもろい。
それでも自分なりに引っ掛かった何冊かのタイトルはメモさせてもらった。
機会があったら読んでみて、そして自分の感情がどう揺れるか、楽しみたいと思う。
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『「今月の組み立てふろく」のりしろがずれてゆがんだ太陽の塔』
何をかいわんや(笑)。
『「自分は今、とんでもない傑作を、ぜんぜん受けとめ切れないまま、その価値をざあざあ零しながら読んでいる」という実感』
あるよね。しょっちゅうだ。
『自然と人工の反転、松本隆の世界には、そんな感覚が溢れている(略)私は好きだ』
うん、私も好きだ。
『女性にしおりをプレゼントする。あいつら、すぐに』
この言葉にドキリとする。ほむほむの言葉ではなく、引用された作中の言葉である。ほむほむ自身もドキリとしてたようだ。あなたのそばに置いてほしい。あなたの世界に挟まっていたい。そんな心が形になったプレゼント。しおりに限らず、だよなぁ。何とは言わないけれど思い当たるフシは恐ろしいほど、ある。そんな自意識な僕たちに、お願いだから「あいつら、すぐに」って言わないで。
『手庇に指輪光れり冬あをぞら』
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