2024年7月12日金曜日

翳りゆくひと。[043]


[043]

さくら老健で新型コロナウイルス感染症が見つかったことに伴って、新しい介護保険証を持ってマサさんの様子を見に行く、という予定は白紙に戻った。
そして、翌々日には危惧していた連絡が入った。

『お父様も陽性になってしまいました。少々発熱もあります。部屋も移って隔離をしていますが、体調そのものについては特に問題ありません』

これに対しては「わかりました」と「よろしくお願いします」以外に言えることがない。
どういう病気か、ある程度わかっているだけに余計な心配をしてもしかたがないし、施設の中にいるのだから心配にも及ばない。そういうことだ。

そうだ、あっちゃんにも連絡をしないと。余計な心配をさせたくなかったからコロナという単語は使わないようにした。

「マサさんのいるさくら老健がね、しばらく面会ができないことになったから」
『あらそうなの。昨日はお見舞いに行ったんだけどね』
「行けるようになったら連絡するから、しばらく行かないでね」

昨日はもちろん面会禁止だ。面会できているはずはない。

そのあっちゃんの介護認定が出たとながいきセンターからメールが届く。
今回は要支援2。前回の要支援1から1段階進んだ、ということだ。
それを受けて『薬剤師の訪問などをお勧めしたのですが、ご本人が嫌がっています』とのこと。

そもそもセイコさんの見立てでは要支援1だったし、あっちゃんはきっと面談の際にはしゃきっとしていたと想像できる。それなのに判定は要支援2なのか。
少しずつあっちゃんに対する心配が膨らんでいく。そして――。

2月最初の日曜日の午後のこと。わたしの家の固定電話が鳴る。受話器を上げるとあっちゃんだった。

『あのね、実はわたし、お財布を落としちゃったみたいで。どうしたらいいかしら』
「え、どこで?」
『さっきスーパー行って、帰ってきたらなくて。たぶん買ったものを詰めるところに置いてきちゃったんだと思う』
「スーパーの人には聞いてみた?」
『届いてないって』

記憶をたどる。
あっちゃんの財布は確か紺色の長財布。レシートでパンパンになっている。確か銀行のキャッシュカードもあの中だったはずだ。

「慌てなくていいけど、まずは警察に落としたって届けないと。駅のほうに交番あったよね」
『あるわ』
「まずは交番にまで行って。ちょっと遠いけどがんばって」
『わかったわ』
「スーパーの人には見つかったら連絡してくださいって言った?」
『言ってないけど』
「じゃあ交番の後に、もう一度スーパーに行って、届いてないか聞いて。それで届いてなかったら、見つかったら連絡が欲しいって電話番号を伝えて」

自分で言いながら、あまりに手順が多いことにわたしは愕然としていた。要支援2のあっちゃんにこなせるのか。

「とにかく交番ね」

いったん電話を切って、頭の中で整理する。
財布がないということは現金がないということで、しかもキャッシュカードもないとすれば、生活資金がない、ということだ。いや、F銀行は確かカードがなくても通帳だけでATMで下ろせたような気もするが、いずれにしても再発行の手続きとか、当座のお金とか、わたしが行くしかないか。

ながいきセンターのセイコさんにヘルプを頼むことも考えたが、今日は日曜日。それはできない。

やはり行くしかなさそうだ。明日の昼ぐらいの飛行機に乗れるだろうか。
天気予報に雪マークが見える。

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