『人通りの少ない夜の道路に光る信号機とか、狭い路地の突き当たりに止めてある自転車とか。普段なら素通りしてしまうようなさりげない風景の中にこそ物語が・・・』
『知らない街の小さな路地を曲がるときのワクワクする感じが・・・』
――小泉今日子
“さんぽニスト”としては、これはもう読むしかないでしょ!
というわけで長嶋有「夕子ちゃんの近道」を手に取った。
ちなみに夕子ちゃんは重要な登場人物のひとりではあるけれど、主人公(語り手)ではない(^^;
ただ夕子ちゃんが教えてくれた近道を歩くことで、物語の中により「人」が感じられるようになる。あたりまえだけど、道を歩けばそこには人の息遣いがあり、たとえ近所だろうと知らない道もあって、そしてそこにも生活があって。
ただの描写に色が付いていくような感じとでも言うのだろうか。
生活の上に存在している道には必ず起点と終点がある。そしてその点には人が存在している。作中では「ゆるく人が束ねられている」と表現された。
頭に浮かぶ情景は、道に沿ってどんどん広がっていく。登場人物は少ないのにどんどん広がっていく。
そして語り手たる「僕」本人のことはちっとも記されていないのに、その少ない登場人物を見る目から、どんどんと存在が明確になってくる。正しくは、ちっとも明確にはなってないんだけど、頭の中で像を結んでくるという感じだな。
そして巻末の解説で大江健三郎(この本は「大江健三郎賞」の受賞作)が、その部分を見事に解説してくれてて驚きつつ感激した。
できることなら「フラココ屋」、覗いてみたい――。本当にそう思ったんだ。
やっぱり本読むのって楽しいなぁ。
* * *
この本に出会うきっかけはもちろん「小泉今日子書評集」。97冊の書評が収録されているとはいえ、1冊あたり見開き2ページだし、読み物として読んでしまえばあっという間に終わってしまうだろう。
だけど、あくまでも書評集。何も知らなければ手に取ることのないような本に出会うきっかけになれば・・・そう思って「ひっかかり」があればそこで書評集を閉じ、本屋に向かう、そんなふうに読んでいこうと思ってる。
もちろん、綺麗な白いカバーは外してる。キョンキョンがそうしているように。
* * *
ところで本編とは全然関係ないんだけど、作中に「相撲通のフランス人」が出てくる。唐突に『あなたの好きだったのは北の湖』という文章が出てきて「このタイミングで!」と驚いた。偉大なる横綱のご冥福を。
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