この2人がコンビを組んで大活躍!?な、中山七里「静おばあちゃんと要介護探偵」を読了。
キャラクターとしては継続だけども、コンビ(コラボ?バディ?・・・「ペア」かな)を組んだ時点でまったくの別作品といってもいいかな。
“安楽椅子探偵は安楽椅子探偵なんだけど、おばあちゃん、ぜんっぜん穏やかじゃない。歯に衣を着せないというか、むしろ好戦的(ちょっと違うか)。そうだった。中山七里はそういうのが得意な作家だった。まさに「あのとき」のじいさんと同じだ。”
これは「静おばあちゃんにおまかせ」の感想に書いたものだ。この“「あのとき」のじいさん”こそが、要介護探偵こと玄太郎氏その人のこと。
ぜんぜんタイプの違うふたりなのに、なにがしかの共通項を感じてたんだとしたら自分に驚きだ(笑)。
正論かどうか別にして、傲慢。
正論しか吐かない、堅物。
ああやっぱり似てるわ(笑)。
いずれにしてもとにかく僕からしたら苦手なタイプかもなぁ。でもね、なんとも魅力的。
齢を重ねると思ったことがストレートに口から出てくる。目の前にいたらイヤだけど、本の中なら痛快だものね。
『年寄りだからといって老成しているとは限らない。足腰が衰えたからといって精神までが萎えているとは限らない。底意地の悪さだけを増長させた者、ただ狭量さを拗らせた者、先祖よりもカネを敬う者』
『不良が不良できるのは、クラスに真面目な学級委員がおるからや。真面目さんがちゃあんと真面目を通してくれるから、不良は安心して羽目を外せる』
世相を反映した大きな事件がいくつも起こる中、印象に強く残ったのは「菅田荘の怪事件」という一編。
おばあちゃんの名前じゃないけども、静かな事件と言っていい。そして両探偵も、特に目立って協力するわけでもなく、ただ互いの存在を感じるのみ。なんだかそれまでの大事件の数々がまるでプロローグだったかのようで。
だけど主人公が主人公だけに、「老い」とか「衰え」とか、そうした避けて通れないものがベースにあって、なんとも胸に奥のほうがぐぐっとなってしまったよ。
『いったい、いつからこの国は老いること、弱くなることを悪徳と捉えるようになったのか。以前であれば老いることは成熟の証であり、弱くなることは庇護の対象になったはずだ』
『手間を掛けるというのは、一緒に生活をともにして本人の尊厳を護りながら終始気を配るこっちゃ。囚人のように、部屋に放り込んで自由を奪うなぞ人の子のすることかぁっ』
『生きている限りは等しく降りかかってくるはずの老いに、どうして相違が出てくるのか。積んだ徳の違いなのか、経済的な格差なのか、それとも前世とやらの因縁なのか。』
そして何より、「そうだったのかあぁぁぁぁ!!」「気づかなかったあぁぁぁ!!」という読後感ですかね(笑)。思い込み!!日付日付!!
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さて、次は「シリーズ2」か、それとも別の中山作品にいくか。ちょっと考えている。
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