[007]
「ながいきセンターの人が後で訪ねてくるから。僕が頼んだんだ。老人のふたり暮らしだし、地域の人が来てくれたほうが僕が安心だから」
あっちゃんにはそう説明した。あくまでも、わたしが、という主語にしないと、きっとあっちゃんは嫌がる。「ちゃんと暮らしてるのになんで他人が」というふうにへそを曲げかねない。
それでも少し不服そうなあっちゃんではあるが、そこは気にしてる場合じゃない。
わたしは書類が積み重ねられたリビングテーブルに、持参したPCを広げて銀行口座、そして支払い情報をまとめている。とにかく全体を「見える化」しないと今後の対策も取れないから。
その姿を見ていたマサさんが声をかけてくる。
「お仕事ですか。大変ですね」
いや、大変なのはマサさんのせいだから、とはもちろん言わない。いちいち腹を立てるようなことじゃない。
「そうなんですよ、仕事で」
作り笑顔でそう返したけど、息子になに言ってんの、と軽口でも叩いたほうがいいのだろうか。接し方がわからない。
4つの口座の状況、引き落としの日付と金額、生活に必要となっていると思われる金額と年金額。カネという視点から見たマサさんあっちゃんの暮らしが大まかに見えてきたころ、インターホンが鳴った。
『ながいきセンターから参りました』
リビングに通されたセイコさん、さすがというしかない立ち振る舞い。にこやかに、そしてあっという間に話題の中心になった。そしてマサさんに話しかける。わたしはただ見ているだけだ。
「今日は息子さんに言われてうかがいました」
「息子?ああそうですか」
「ご主人、おかげんはいかがですか」
「まあゴルフと同じですね。ぼちぼちです」
「今日は体調を確認させていただくので、いくつか質問させていただこうと思ってるんです。奥様も一緒にいかがですか」
これがうわさに聞く認知症の検査か。
「まずこの紙にお名前、書いていただけますか」
「私の?」
「はい、ご主人の」
名前はちゃんと書けた。少し手元がたどたどしいけれど、筆跡は間違いなくマサさんのそれだ。あっちゃんは相変わらず字が上手。
「ご主人、今日は何月何日ですか?」
「今日?」
一瞬わたしのほうをマサさんが不安げに見たような気がしたのは気のせいだろうか。
「8月の・・・6日かな」
「奥様は?」
「今日は1月2日」
1/365をヤマ勘で当てるようなマサさんの答えも衝撃的だけど、あっちゃんが日付を把握してないのも衝撃だ。やたらにきっぱりとした口調だったし。今日は1月6日。
「ここがどこだかわかりますか。住所」
「ここ?えーと、滋賀県、かな」
滋賀だって?
マサさん、生まれも育ちも仕事も滋賀県とは何の関わりもない。大阪に転勤してた時代、仕事の範囲に滋賀県が入っていたかどうか、その程度だ。
それなのになぜここは滋賀県と。自宅という概念がもうないのか。あっちゃんを見るとちょっと苦笑いを浮かべているようにも見えた。
「100から7を引いてください」
7を繰り返し引いていく質問にはもともと理系のマサさんは驚くほどすらすらと答えた。勉強好きのあっちゃんもノーミス。さすがというか。それをどう判断するのか、わたしにはわからないのだが。
ひととおり検査を終えたセイコさんは、「薬はちゃんと飲んでますか」「ちゃんと場所を決めてないと忘れますから」とか、そういった指導も行って、すっと帰っていった。
わたしとはこの場では話す必要がない、話すべきではない、ということだと理解をした。
そして意外にもあっちゃんは、家に上がり込んできたセイコさんのことを悪くは思わなかったようだ。何よりだ。
時間はもうすっかり夕方になっている。
「晩御飯、買ってくるから一緒に食べよう」
マンションの近くのスーパー、総菜類があまり充実してなかった。揚げ物というわけにはいかないか。おでんと、それから小さな寿司パックを買った。
マサさんがおでんをすごく喜んでくれた。食欲もあるようだ。それが何より。
「今日は泊っていくのか」
え、マサさん、わたしのこと、わかってるの?
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