[009]
1月7日。わたしはホテル近くのファミレスで朝食を食べていた。傍らのPCの画面に表示された、前日にまとめた銀行口座関連のデータを眺めながら、今日は何をすべきか考えていた。
今日という短い時間で何ができるか。やはり一番きちんとしておきたいのは電話のことか。電話が通じないのは危険に直結する。それが今回身に染みてわかったことだから。
一番確実なのは契約を丸ごとわたしの名義に変えてしまって、支払いもわたしが一緒にする、ということだろうな。
携帯電話会社のHPを調べてみると、名義の変更には委任状と、元契約者と新契約者の本人確認書類が必要とのこと。委任状は規定の書式があるので、ダウンロードしたものをマサさんちに向かう前にコンビニでプリントすることにした。記入はわたしがやればいい。
朝食を食べているマサさんが、リビングテーブルの上を整理している私を見ながら、あっちゃんに話しかける。
「大きくなったねえ」
「何言ってるんですか」
どうやら今日はマサさんはわたしのことをちゃんと認識しているようだ。ただそれが「いつのわたし」かはわからない。
「別に大きくなってないよ」
笑ってそう返したが、これでいいのだろうか。
この日、マサさんはこの「大きくなったねえ」を少なくとも10回は繰り返すことになる。「大きくなったかな」と返したり、「そう?」と返したり、いろいろ返答には工夫をしてみたが、それが繰り返されるたびに何かこう、心に重いものが溜まっていくような感触がある。会話をすること自体は楽しいし喜ばしいのに、だ。そしてわたしの作り笑顔は固くなっていった。
それはそうと、携帯電話の名義変更のための本人確認書類を用意しなければ。
「写真付きの本人確認書類って何かあるかな」
「さあ、自分で持ってるからわからないわ。マサさんのカバンの中に何かない?」
普通に考えてボケてるマサさんに大事なものを預けるって考えにくいのだが、あっちゃんはマサさんのこと、信用しているのか何なのか。長い時間をかけて熟成された夫婦の役割分担だったりもするのか。
それはそれとして、他人のカバンを改めるというのはあまり気持ちのいいものではないが、ここはしかたない。ソファの脇に昔から置かれているマサさんのカバン――通勤していたころに使っていたものだろうか――の中を確認してみる。
どう考えてもゴミのようなものもあるけど、この小さなポーチはなんだろう。あ、身体障害者手帳だ。
マサさんは心臓に持病があって、もうずいぶんと前になるけどペースメーカーを埋め込む手術を受けている。そのときに発行されたものだろう。ちゃんと写真も付いてるし、これを借りていくことにしよう。
2日連続の携帯電話ショップである。
さすがに土曜日、予約のないわたしは少しばかり待たされたあと、カウンターに案内された。
前日に支払った請求書の控えを見せつつ、この契約すべてをわたしの名義に変更したい旨を告げた。書類関係はそろっているので、手続きは簡単なはずだった。
ところが話はそううまくは進まなかった。
ずいぶん長い時間端末を操作していた店員さんが顔を上げた。
「お客様がすでに契約されている回線が5つありますね」
わたし、妻、ふたりの息子、義母。同居している家族の持つ携帯電話は、すべてわたしの名義になっている。
「現在はおひとりの個人名義では5回線までしか契約できないルールになっています」
「以前は10回線までだったのですが、犯罪防止ということもあって変更になりました」
理由は納得なのだが、完全に無駄足になってしまった。
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