2024年1月31日水曜日

翳りゆくひと。[006]

 
[006]

この地では通称「ながいきセンター」と呼ばれる包括支援センターは、雑に言えば地域の老人のことを気にかけてくれるところ。市の管轄になる。
ここにふたりの現状を話しておけば、少なくともふたりが孤立してしまうことはないのではないか、そういう期待があった。

「失礼します」
「ご予約の方でしょうか」
「いえ、予約はしてないんですが、ご相談と思いまして」

対応してくれたのはセイコさん。もらった名刺には保健師の肩書が書かれている。

「ボケた老人のふたり暮らしで」
「電話が通じなくて、今日慌ててやって来ました」
「電気が止まったことも」
「わたしはひとり息子で」
「エレベーターのないマンションの4階で」

ここまで来て何もカッコつけたことを言う必要はない。ありのままを、心配なことをすべて並べ立てるように話した。

「おおよそ、お話はわかりました。ではご両親のお名前と連絡先を記入していただけますか」

その書類を見てセイコさんは怪訝そうな顔をした。そして「ちょっと失礼しますね」と自席に戻ってパソコンのキーを叩く。

「このおふたりのことなら奥様のご友人の方から心配だからと相談を受けていました」
「今度ご自宅に訪問する計画を立てているところでした」

どなたかは知らないが、あっちゃんのことを気にかけてくれてる人がいたことに驚きと安堵の気持ちがないまぜになって湧く。

「息子さんがいらっしゃるなら、今日のうちに訪問して、様子を見させていただくようにしましょう」

マサさんちのマンションに来ていただく時間を約束して、わたしはながいきセンターを辞去した。

ビルの外に出て思う。
仕事だから当然なのかもしれないけれど、セイコさんの反応の早さに救われたような気分だった。何より誰かにまとめて状況を話すことができたこと、つまり悩みを打ち明けられたことは大きい。
まだ何も始まってはいないけれど、事態がきっといい方向に動き出す、そういう予感もしている。
気が急いて心拍数が上がりっぱなしの一日だったけど、ひとつ長い息を吐き出せた。

さてまだやり残したことがある。電車に乗って4駅、M銀行での通帳記入だ。
ここからも細かい引き落としがいくつか確認できる。水道料金もここからみたいだ。どういう管理をしてたんだマサさんは、とちょっと腹立たしくも思うけれど、ただ当面残高には問題はなさそうだ。

なぜなら昨夏に大きな入金がある。これはなんだろう。
振込名義をスマホで検索すると、どうやらゴルフ会員権を売った代金のようだ。
今のこの段階でまだ会員権を保持していたことも驚くが、売るという「行動」をマサさんが実行していたということにも驚く。

帰宅してマサさんに聞いてみた。

「ゴルフの会員権ってまだ持ってるの?」
「あそことあそこと。ときどき行ってます」
「ゴルフなんてもうしてないじゃない。会員権も売ったでしょ」

横からあっちゃんが言う。結局本当のところはわからない。なにせわたしは、ゴルフ大好きなマサさんがそもそもどこの会員権を持ってたか、いくつ持っていたかということを知らないし。
ただとにかく、入金された現金があることだけは確かで、このカネが、マサさんあっちゃんの老後の資金として活用できることを考えるべきだなと思っていた。

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