2019年7月3日水曜日

活版印刷の三日月堂さん。

今でこそ活版印刷/凸版印刷の良さが見直されているそうだけど、僕が印刷業界の周辺で仕事をし始めたン十年前は、わずかに活版を扱う場面はあったものの、世の中ほぼオフセット印刷/平版印刷に移行済みだった。
当初は紙の上にQ数とかHとかの単位を使って写植(写真植字)指定してた懐かしのアナログ時代。ちょうどデジタル化(電算写植)の動きが加速していくところでもあって(Macintoshがかろうじて実用に耐えるようになりつつあり)、さらに出版の世界ではDTP化の潮流がやってきてた。印刷側の環境も整ってないのに、編集制作側でフルDTP化をしようとしていろいろ模索――失敗とも言う――もしてたなぁ、と遠い目をしてみたり。
印画紙をカッターでうすーく剥いだりピンセットで版下に貼ったりトレペに指定書き込んだりもなつかすい。

そんな個人的背景もございますので、“活版”という単語にはちょっとしたノスタルジックな思いとともにぴくりと反応してしまうのです。

と、長々と書いたところで本題。
ほしおさなえ「活版印刷三日月堂 星たちの栞」を読みました。

便利という価値観からは遠いところにある活版印刷。それを商売とする「三日月堂」とその顧客との間のハートフルなヒューマンドラマ。4つの連作が収録されてます。

物語は、再興された活版印刷の「三日月堂」を中心に繰り広げられます。何か特別大きな事件が起こるわけではないですが、その物語を一人称で語る人物が三日月堂と関わり、その印刷物を手に取ることで「何か大切なもの」に気づく、そんな感じです。
何も起こらないかわりに、読んでるこちらは何かを思い出す――ひとつの思いだったり、ひとつの納得だったり、ひとつの痛みだったり。共有と共感、ちょっと自己満足な思い込み?、そんな感情がごっちゃになって溢れました。

活版印刷ってやはりコンビニエンスではないし前時代的ではあるんだけど、だからこそ「継いでいくべきもの」なのだろうし、それはまさしく人から人へ「継がれてきたもの」でもある。これこそが物語の芯に流れているもの。
そうした空気は、小江戸・川越という舞台設定にもよく似合う。

印刷屋さんって今ももちろん職人さんによるところが大きいのだろうけど、活版印刷はより「手」が必要になる職人仕事なわけで、その温かみが誰かに届くのだろうなとも思う。

『文字が刻印されることで、その紙に人の言葉が吹き込まれる。言葉を綴った人がいなくなっても、その影が紙のうえに焼きついている』

活版という実体から生まれてきた影、印刷物。
だが、印刷物は実体。そこに想いを留め、誰かの手に渡る。活版は影――。

なんだか、ちょっといいなって、そう思う。

『過去がわたしたちを守ってくれる。そうして、新しい場所に押し出してくれる』

続編が何冊か出てるみたいなんで、また読み進めてみたいなと思っている。

*  *  *

4編の中でもお気に入りは表題作でもある「星たちの栞」。
「銀河鉄道の夜」に絡めて、高校の文芸部の人たちととのかかわりが描かれるんだけど、“読まれることの悦び”とでも言うのかな、そういうのってちょっと刺さる。もっと何か書きたくなるよ。

ところで。

どうして宮沢賢治の話が小説なんかに出てくると、なんでこんなにくらくらするんだろ。
この本に限ったことじゃなくて。不思議だわ。それも魅力なのかな。

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