歌野晶午「葉桜の季節に君を想うということ」を読む。
なんか最近のマンガ原作のアイドル主演の恋愛映画みたいなタイトル(偏見)だけど、さにあらず。時節柄は時節柄ですね。
読み始めてまず思ったのは、文章、言葉のリズム感が好きってこと。
以前読んだときは「肌に合わなかった」って思ってたから、人の印象なんていいかげんだ。先入観はよくないね。
物語は「なんでも屋」の元探偵・トラちゃんが、霊感商法というかマルチというか、そういう悪徳組織の裏側に迫っていくサスペンス。
それがメインストリームだと思うんだけど、一方でさくらさんとの恋模様も描かれている。
半ばまで読んでふと目次に戻ってみると、1章おきに「出会い」「再会」「交際」「蜜月」「破局」といったタイトルが並ぶ。もしかしてこっちのほうがメインなのかしら?
並行する2つの物語――なんかミスリードさせられているような落ち着かなさもありつつ、この物語はどう収束していくのか、わくわくするような気持ちも湧いてくる。
・・ん?
・・・えっ?
・・・・!!!
うわっ!やられた!!
まさかこんなふうに収束するのか!させられるのか!!
バリバリのミスリードだったじゃん(笑)。それはそれは見事な叙述ミステリー。
時代背景的(←)に気づける可能性もゼロではなかっただけに・・・ホント、参りました~。気持ちよく騙された~。
そして結末。
あたかも(←)サイドストーリー的に描かれたトラちゃんの元探偵としてのキャリアが、きちんと「今」につながってた。
そうだ、彼は『なんでも屋』ではなく『なんでもやってやろう屋』だったんだ(何らかのネタバレ)。
最終章を読みながら、これはミステリーの形をした人生賛歌なのかもしれないな――などと申しており(^^;
「さくら」の季節が過ぎて、葉桜の季節になっても――。
なんだ、最初に思った『恋愛映画みたいなタイトル』はあながち間違ってなかったのか。
いろいろ「わかった上で」もう一度読み直してみたくなった。
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