2022年4月8日金曜日

さんぽニスト、旧水戸街道をゆく。その四

2019年の春から夏にかけて、水戸街道をさんぽしてました。そのとき思ってたのは「水戸にゴールするときは、せっかくなら梅の季節がいいな」。ところがその季節がめぐってきた2020年春から社会がどうにも難しい状況になってしまって、なんやかんやで結局三度も梅の季節が過ぎてしまいました。
「保留のまま」というのも気分的にもスッキリしないので、ここはもう梅にこだわることなく、リスタートしようじゃないか!!

というわけで行ってきました旧水戸街道。

リスタートは前回ゴールの府中宿、石岡駅前から。
すぐに道は右に大きく回り込み、常磐線を越えていきます。ここから水戸までは水戸街道と常磐線は大きく離れて進むことになるので、さんぽニストとしてはそれなりの覚悟(笑)が必要です。自家用車社会なんでしょうね、バスの便もいいわけではないので。
1日1本なんてバス停あったぞ。

ほどなく石岡市から小美玉市に入り、そして竹原宿。といっても宿場だったことすら気づかずに通り過ぎてしまうほど。まあ国府も近いしそんなもんかなぁ。

国道6号に合流してしばらく進むと、次の片倉宿に入る手前、およそ1km近くあっただろうか、両側に見事な桜並木があります。
東京で散り始めていた桜もこちらではまだ五分から七分というところか。1週間早かったな・・・だからといってまた先送りすると次は何年先になることやら(^^;

その片倉宿――現在の地名は「堅倉」――の中心部にいくつか並ぶお屋敷がそれはそれは立派な門を構えてます。由緒あるんでしょうなぁ。特に調べたりはしてないですけども。
お掃除をされてる方になんとなく会釈して通り過ぎました。


堅倉から先、しばらくは国道6号と並行して旧道は進みます。
このあたりで「美野里」という地名が出てくる。あれ?もしかしたら小美玉の「美」かしら?と思ったところで「玉里水戸線」という道路を確認。玉里が「玉」なんだな!とちょっとうれしくなったり。で「小」は?調べてない(^^;

ほどなく小美玉市から茨城町に入ります。こんな名前の町があるの、知りませんでした(すいません)。県の中央なのかなと想像したみたものの、東茨城郡だそうで。よくわかりません。

そしてまもなく小幡宿、というところでふと気づく。表札に書かれた名字が同じお宅が連なっていることに。そのどれもが広~い敷地で「威容を誇る」とでも言うんでしょうかね。
とそのとき思い出したのが、だいぶ手前に同じ名字のお屋敷があったこと。なんで覚えてたかっていうと、表札のサイズがA4ぐらいあったから(笑)。この地では〇〇一族なんて呼ばれちゃってるのかしら(適当)。

再び国道6号に合流してすぐの左側に「千貫桜」があります。看板によれば、光圀公が『千貫の価値がある』と賞賛した当時のものは枯れちゃってしまってるそうですが、立派な巨木と並木があって・・・・繰り返すようですが1週間来るの早かった(苦笑)。

涸沼に注ぐ涸沼川、涸沼前川と渡って長岡宿に到着。ここには脇本陣だった木村家住宅が残されているのですが、門が閉まってて中をうかがうことができず。
直線の両脇に広い家、小さい郵便局、ちょっとした商店・・・うんうん、確かにここは宿場町だ(自分だけが納得している)。

先に「自家用車社会」と書きましたけど、それは歩く人にとってもあまり都合のいい話ではなくて、何度か交差する国道6号は反対側に渡るための横断歩道がぜんぜんない(旧道に入るためにわざわざ戻ってから道を渡ったりもした)。今回は歩道橋も5~6回使ったんじゃないかな。
県道なんかだと、歩道はあるけど人ひとりがようやく歩ける幅で、側溝にコンクリの蓋がしてあるだけのものだったり。これが歩きにくいのよ。そもそもカタカタガタガタしてるとこ多いしさ、家の出入口のたびにアップダウンがあるし、そこでつまづいたり踏み外したり(キョロキョロしながら歩いてるせいもあるんだけど)、つま先がちょうど穴にはまったり。
人が歩くことを想定してないとは言わないけど、事実歩いてる人がほとんどいないので「それでまあよし」みたいなこともあるんでしょうねぇ。

そう。すれ違った歩行者、数えるほどだったように思います(^^;
その数少ない中のひとりに話しかけられるとは、私ってばどんだけ「道を聞かれがち顔」なんだろう(笑)。
あれは美野里ロードパーク(国道脇のクルマ用休憩エリア)のとこ。前方からマスク着けながらこっちに向かってくるおばちゃんにいきなり声かけられた。「このあたりでビデオとかDVDとか売ってるお店・・」「地元の者じゃないんでぜんぜんわからないです、ごめんなさい」。いや、唐突に何さ。すれちがってから見回すと、手書き文字のPOPが踊る「ミュージックテープセンター」なるお店が!ミュージックテープ!!!
目的の曲のテープ売ってなかったんかな。知らんけど。

人とはすれ違わなかったけど、犬には吠えられたな(何の話)。
家の前の敷地を自由に動き回れるように(かつ敷地から出ないように)リードの固定部が動くようになってる柴っぽいワンコがめっちゃ吠えながら飛び掛かってきて。ちょうど歩いてくるほうからは見えなかったこともあって、そりゃまあ驚いたわよ。固まったわよ。リードあるんだとわかってからも心臓バクバクなのよ。
ガキんちょのときに同じように飼われてた犬に噛まれて、いろいろ騒動になったこともあって、ちょっとトラウマあるのよ。帰宅後にここだったかなとストリートビュー見たら背中向けて寝てる姿が映ってた(笑)。
もう1匹、やたら遠くから吠えてきたのもいましたね。動物には好かれるタイプ、と思っておくことにします。

ところで今回のルート中、石仏、お地蔵様、供養碑、とにかくたくさん見たような気がします。もちろんほかの街道にもあるのですが、特に多く感じました。
街道そのものが難所ということもないですし、何か理由あるのかなぁ。信心深い土地柄とか?

話と道が逸れました。旧道に戻りましょう。
長岡宿を後に、北関東道を越えるといよいよ水戸市に突入です。
一直線に進んでいるかと思うとカクカクっと曲がるところがあり、いよいよ城下町なのだなと実感します。
重要文化財に指定された本堂を持つ薬王院、そして常陸国三宮の吉田神社にお参りをさせていただき、ここまでの無事の御礼を申し上げました。

「白梅町」なんていかにも水戸っぽい住所表示だなと思ったら、もうゴール。市街地に入る前に「江戸街道起点」(=水戸街道終点)の碑が建ってました。あっけなし。
住所は「本町」なのでここが宿場だったということでいいのだと思います。


ゴールの後は宿場の中心とおぼしきエリア、商店街や桜川の土手(やっぱり桜は1週間早かった)を散策しながらJR水戸駅へ。
水戸城や偕楽園も見たかったんですけど、帰路の列車のタイミングもあって次回のお楽しみ、ということにしました。

そうそう、11年前の爪痕らしき倒壊しかけた家が放置されてたりもしてました。そういうことも覚えておきたいです。
さて次はどこをさんぽしようかな。


今回の行程:府中宿~竹原宿~片倉宿~小幡宿~長岡宿~水戸宿。お昼ごはんは長岡宿手前の蕎麦屋さんでいか天ざるを。いか天名物とのことで頼みましたが、野菜天もいっぱいついててなかなか豪華。おいしゅうございました。人気店のようで次々に客が来ますが、徒歩で来たのは私だけのようで、何も言ってないのに奥さんに「どこまで歩いて行くんですか。今日は暑くも寒くもなくていいですね」と言われたり。ちなみに店内は茨城弁で充満、堪能しました(笑)。お土産は納豆・・はさすがにパスして、きなこのお菓子。
ここまでの行程:[1]千住宿~我孫子宿 [2]~牛久宿 [3]~府中宿 [4]~水戸



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