2019年8月30日金曜日

さんぽニスト、旧水戸街道をゆく。その参

週末のたびに雨だったり、晴れたと思えば猛暑日だったりで、3ヶ月ほど空いてしまいましたが、水戸に向かう3回目です。前回の終着地牛久駅から国道6号を北北東に針路をとって。

んー、朝っぱらからクルマ多いなぁ。国道はもちろん歩道があるからいいけども、歩道のない旧道でもどんどんやってくるから微妙におっかない。裏道みたいになってんのかな。
とりあえず道路の端を気をつけつつ歩こう。

ほどなくして「ひたち野うしく駅」を通過。ここはもともとはつくば万博のときの臨時駅だった。懐かしいなぁ・・・って嘘です。つくば万博は見に行かなかったから、当然この駅にも来ていない(本当)。
てか、つくば万博のときはまだ生まれてません(大嘘)。

国道は土浦市に。それにしても昨今の流行とはいえ、唐揚げ専門店の多いこと多いこと。コンビニより多いよ(俺調べ)。
そんな中、いかにも地元チェーン店っぽい「茨城タンメン」と大書きされたお店を発見。どういうタンメンなのかはよく知りませんが、気になったのは店のマークのところに「カミナリ」という文字が書かれていたこと。もしかしてあの漫才コンビの名前はここから来たのかしら・・・などと考えつつ国道から離れ、荒川橋を渡って荒川沖宿に入る。

「川が荒れて」というのが地名の由来のようなんだけど、失礼ながら荒川橋のかかる川は農業用水レベルにしか見えない(笑)。てか「沖」って何?(ちゃんと調べてない)
小さな宿場のようだけど、茅葺屋根の旅籠が残ってたりしていい雰囲気ですなぁ・・・と思ってるうちに通過してしまった。やはり小さい(^^;

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#荒川沖宿 #旅籠跡 #旧水戸街道 #さんぽニスト

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荒川沖宿からかなり近い次の中村宿も小さい宿場。
道の雰囲気が「宿場っぽい」と感じる(ということにしておいてくれ)以外は特に・・・ということで先へ進みます。

ところどころに蓮田(っていうの?)が見える。そうか、レンコンって茨城名産だったよね。
広いエリアに蓮の花はところどころにしか咲いてない。一斉に咲くようなもんじゃないのかな?咲かないのもあるのかな?(調べろよ>俺)

久しぶりに背の高い建物が見えてきた。土浦の市街地だ。なぜだか「ひと息つく」気分。
その市街地に入ってすぐ、ふと右側の建物に目が留まる。
入口や窓に卓球選手の写真やTリーグのポスターやらがベタベタと貼られてて、その上にいかにもプリンタから1文字ずつ出しました、な[リオ五輪代表吉村真晴]の文字。
よーく見ると「ヨシムラスポーツ」というお店(店名が一番見えにくいw)。「もしかして吉村選手の実家??」。



店内はよく見えませんが、卓球のショップと道場があるみたい。きっと実家なんだよな、と決めつけてみた(調べろって>俺)ら、本人に会ったわけでもないのに、有名人だ~みたいな気分でうれしかったり(笑)。

そんなこんなで土浦宿
城下町なので道はカクカクと曲がっていく。街並みがとってもきれいに整備されている。瀬戸物屋の軒先からうっすら聞こえてくる風鈴の音が心地いい。動画でも撮るかと近づくと、風が止むという実に持ってない男。
古い建物が店舗としてうまく利用されてたりするし、なんと言うか、街全体がフォトジェニックだなーなんて思ったり。

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#土浦宿 #旧水戸街道 #さんぽニスト

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ところで、城下町ということは当然城址があるわけで、出発前には寄り道しようって思ってたのに、写真撮りながらカクカクと旧道を歩いてたら城址を回り込むようにしてなんとなく通過してしまった(^^;
なんかぼーっとしてたみたいね。きっと柔らかな街の雰囲気のせい(んなわけない)。
「霞ヶ浦も見たいな」なんて思ってたこともすっかり失念してましたしー。

こりゃあまた来ないとだわね、土浦。

筑波鉄道の廃線跡を越え、水戸街道に唯一残されたという松並木をくぐり、国道6号バイパスを渡・・・・れない。旧道はバイパス整備の際に分断されてしまったんだろう。クルマ文化だもんね、旧道歩く人よりバイパス優先です。ぐるーーっと迂回してようやく渡ると、そこが中貫宿の入口。

立派な本陣跡が残ってるので見学するかなと門に近づいたら、立て看板に「現在住宅として使われております」の記述が。あっぶねー(笑)。

本陣を中心にまっすぐ伸びた町並み。小さな酒屋と郵便局。おじいちゃんちに来たような穏やかな気分。けっこう好きだな、ここ。

再び6号バイパスに合流するとかすみがうら市に。しばらく単調に進んだ後、旧道はバイパスと分かれ、稲吉宿に入る。
本陣が残されているところやまっすぐな道の雰囲気は中貫宿と似てるなーと思うんだけど、こちらはより「大きい」。宿場町の風情がずっと続いていくような。実際に脇本陣もあった宿場で、旅籠も17軒もあったらしい。そのうちのひとつが木村家住宅(つまり今は木村さんち)として現存している。

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#稲吉宿 #稲吉宿本陣跡 #木村家住宅 #旧水戸街道 #さんぽニスト

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それよりも強く印象に残ったのが、それぞれの一般の民家の「威容」。どの家もまあデカイ。立派な瓦屋根の和風なお宅がずらーっと並ぶ。東京のひしめくような戸建てを見慣れている目には驚きでしかない。
稲吉というぐらいだから、稲作で豊かになった土地なのかな(適当)。

稲吉宿を出て旧道を進む。右目にチラチラとトラックがぶんぶん走るバイパスが見える。向こうはまっ平なのにコチラはアップダウンの連続。なんかくやしい(^^;
ところで、季節柄、力尽きたセミ、いわゆる“セミファイナル”(笑)をたくさん見ることになる。それどころかおなじみミミズファイナルから始まって、ハチファイナル、カメファイナル、あげくにヘビファイナルだ(いずれも写真はありませんw)。ずいぶんいなk・・・じゃなくて、自然豊かなところまで来たもんだと感慨深い。22里目の一里塚を越えて。

石岡市に入る恋瀬橋(なんか素敵な名前w)を渡りながら上流を見やると、「おお筑波山」。
今回の行程で初めてちゃんと見えた。
でも行ったことももちろん登ったこともないのに、なんで筑波山って名前に印象が強いんだろう?・・・あ、あれだ。「筑波山麓合唱団」か(^^;
♪がまはがまでも四六のがーまーーーーー



さて住所表示は「石岡市国府町」に。ここは常陸国の国府があったとこ、つまり府中宿
住宅地の坂を上り(冒頭に載せた絵の場所)、直角に右、さらに左と曲がると石岡の中心部に出る。

メインストリートに何軒か大正・昭和なレトロ感を残す「看板建築」の店舗(兼住宅)を見ることができる。良いわー。大好きー(←感想ヘタクソ)。

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#府中宿 #石岡 #旧水戸街道 #看板建築 #さんぽニスト

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府中宿というか石岡を過ぎると、旧水戸街道は常磐線と遠く離れていく。帰るのに難儀するから、今日はここまでにしましょう。
ということで石岡の町を少し歩いて、駅に向かいました・・・って上り線の本数、少なっ。

ところで、今回の行程の中で、何軒か崩れたように放置されている空き家を見かけた。8年前の地震の被害の一部なのだろうか。
目立って爪痕が残されていたわけではないけれど、国道6号は被害の大きかった地域を通る国道でもあるし、そうしたことも考えながら、この後も歩いていこうと思っている。



今回の行程:牛久宿~荒川沖宿~中村宿~土浦宿~中貫宿~稲吉宿~府中宿(→GoogleMapsのマイマップ)。お昼ごはんは稲吉宿に入るちょっと手前、上稲吉の牛丼チェーンでカレーライス。ランチのお店は選び放題?だったけど、実はコンビニ不足であった。補給食持っててよかった。
ここまでの行程:[1]千住宿~我孫子宿 [2]~牛久宿 [3]~府中宿


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