無病息災を願い、きのうの朝は七草がゆをいただきました。今年は特においしかった気がします。さて。
まずはネット上の記事をご紹介します → コチラ
まさしくホンコレで、本質的には『会うな、話すな、触れ合うな』だと「僕も」思うのです。
だから必ずしも飲食や旅行や興業が、諸悪の根源のようなことではないのだと思います。でも「そう言わないとわかんないでしょ」というのもなんとなくわかる。
今どきランチに「7人ですけど入れます?」とか言ってるグループは、店内でももれなく会話をするし(偏見に満ちた言い方をすると絶対に大声だ)、そうしたソロ飯や静かに食事をすることができない人々は一定数いると思うのです。
だとすれば「夜の会食」においては、なお、ということも理解できます。
食事の場面ではありませんが、対面を遮るアクリル板があるのに、わざわざ立ち上がってアクリルの上から会話を投げつけてくる人を見かけたときは本当に悲しくなりました。
ただ、そういうふうに考えているのは「僕」なのです。
同じ情報を受け取っても、捉え方や考え方は千差万別。
そもそもがそのベースとなる受け取っている情報が多種多様です。
煽るような見せ方しかしないTVショーから、論調の違う報道機関、ネット上のソースの怪しい情報、あるいはもっと悪質なフェイク、公開されているデータから論理的に読み取れるもの・・・エトセトラ。
千差万別×多種多様=全員違う、まずはそこが起点なんだと思います。
たとえば普段はわりと同じような考え方をする仲間たちとオンライン飲み会とかしてて、誰かが「~なんだよ」と断定的に意見を言ったとします。「俺のとは違うな」と思ったりすることは多いです。ただそこで意見を交換しても、おそらく持ってるソースが違っちゃってるので、議論そのものが噛み合わない可能性が高い。不毛なことになりそうです。
たとえば「まあダイジョブなんじゃない」という人と、自粛警察的な行動を取る人は絶対に噛み合わない。
バンジージャンプが平気な人と高所恐怖症の人のように、「怖さメーター」だって人それぞれ許容範囲が違うはずです。
なんとなくですが、欧州でロックダウンのような強い施策が採られるのは、この千差万別度が高い個人主義の国だからなのかも、などと思ったりしています。
翻って今回の緊急事態宣言。
制限が弱いと感じる人もいるでしょうし、制限はそこじゃないだろうと思う人もいるでしょう。遅きに失したと思う人もいれば、止めてくれと言う人もいるはずです。
でも少なくとも「緊急事態であるという明確なメッセージ」は、人々にひとつの共通認識を届けることができるのではないかという期待を「僕」はしています。
今回の緊急事態宣言は1ヶ月間とか。ぜんぜん足りてないのか、あるいは経済のことを考えたら限界なのか、僕にはよくわかりません。
でも、ひとつのマイルストーンはワクチンでしょうか。接種が早期に始まることを期待しています。始まったら始まったでなんのソースもない副作用を煽ったり、似非科学を振りかざす人も出てくるんでしょうね(悲)。
『会うな、話すな、触れ合うな』という点からすると、僕の場合特に何も変わらないかな。いや、感染対策万全の、アクリル囲いに頭を突っ込んで飲むようなおひとりさま晩酌も制限されるのか。それは少々寂しいが、家飲みすればいいだけのこと。
あえて宣言するとすれば、千差万別を積極的に納得して、いちいち「僕ではない人々」に目くじら立てたりしないようにしたいな。
ある意味感情を抑えることになるのかもしれないけれど、『会って、話して、触れ合う』ことのできる日を目指して、まずはそれが「僕の」宣言。
あと、関連ニュースやSNSに「触れすぎない」というのもメンタル的には大切。うん。
あと、関連ニュースやSNSに「触れすぎない」というのもメンタル的には大切。うん。
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過去の「緊急事態宣言」関連の弊ブログ記事
- 2020年春の緊急事態宣言下での投稿「晴れたらみんなで。」
- 緊急事態宣言解除後の投稿「新しい事態宣言。」
- その解除から約2週間後の投稿「半分半分。」
- 2020年11月、第3波拡大中の投稿「ステイ・ホーム・アゲイン。」
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