紅雲町珈琲屋こよみシリーズの4冊目、吉永南央「糸切り」を読了。
最初に読んだときから思ってたことではあるんだけど、このミステリーはやっぱりミステリーっぽくない。人情話だ――と前回も書いたな(^^;それがわかってる上で読んでるのに、やっぱりどこかすっきりしない。事件が劇的に解決するようなことがないからね。
探偵役のお草さんは確かに鋭いところはあるけど、奥ゆかしくもそれを表に出すようなことはないし。でもそのやり方ってさ、傍から見てると腹に一物抱えためんどくさい人としか読めないんだ。表紙イラストのイメージとはだいぶ違う(^^;
それとね、物語の時間経過が読み取りにくい。
「あえて」なのか、読者である僕との相性の問題なのかよくはわからないけど、読みながら変なところにアタマ使っちゃう感じなんだよなー。
そういう意味では楽しめては読めていないのだけど、ときおりハッとさせられる言葉が出てくるんだ。それが最大の魅力だと思っている。たとえば、
『便利さの一部は加速度的に進むあまり、人が本来持つ生きる速度をすっかり通り越してしまっているのかもしれない』とか。
0 件のコメント:
コメントを投稿