「あっ、このつくねおいしー。コリコリしてて」
こんなふうに食事をするのはいつ以来だろう。なかなか本題が切り出せないのはそのせいだけではないが、誘ったのはこちらなのに俺はすっかり聞き役だ。
「ここって課長の隠れ家ですよね」
「え」
「ごめんなさい。通ってるスポクラ、この先なんです。このお店、あそこの窓から中が見えるじゃないですか。カウンターに座ってる課長っぽい人を見かけたことがあって」
「月に一、二度かな。仕事終わりのひとり酒だね」
「やっぱり。それ以来通るたびに中を覗いてたんですよー」
見られて困るわけではまったくないが、おそらく隙だらけだったであろう自分を想像するとちょっとこそばゆい。
俺は照れ笑いをしたが、そこにはあまりに話題が見つからない苦笑いも含まれている。勢い話題は仕事の方向に振れていく。
「武庫川さんの仕事、貧乏くじでしたねー。課長が断らないからって、うまいこと押し付けられちゃったって感じで」
「いや、一応自分で手を上げたんだよ。何も知らないわけじゃなかったし」
「手を上げた瞬間に『どうぞどうぞ』でしょー。わかってたくせにー」
お笑い芸人のネタを引き合いに出してリナさんは笑った。
ばれてたか。火中の栗を拾うと言えば聞こえはいいが、やりたいわけではなかった。実際には皆が敬遠するような案件に立候補する自分に酔っていただけのことだ。そしてその直後から、そういう意識だった自分に対しての後悔が始まり、自己嫌悪の中で仕事をしたんだ。
「でも・・・本当にお疲れ様でした」
聞きなれたこの言葉が、温度を携えて俺に届いてきた。この人は見ててくれている――。
白い朝靄が昇る朝日とともに完全に晴れたような感触。頼める人はほかに考えられないと強く思った。
俺は左のポケットからスマートフォンを取り出して電話帳を開いた。最初の画面でいきなり甘木の名前が目に飛び込んでくるが、それは見なかったことにする。
画面をスクロールし、タップしたのは矢野の名前。
いくつかの呼び出し音の後、接続されたのは予想どおりの留守番電話。送話口を片手で覆いながら小声でメッセージを吹き込んだ。
「例の件、他言無用という話でもないと思うから、職場の人にヘルプしてもらうよ。甘木にも伝えておいてくれ」
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