2024年5月19日日曜日

翳りゆくひと。[032]


[032]

その建物は想像以上に大きいビルだった。下層は病院、上のほうには老健と通所施設、そして最上層が老人ホームという、オールインワンとでも呼ぶべき施設だった。
こんなところに入れるのか。安心感というよりも驚きのほうが上回っている。

エントランスで、介護タクシーの運転手さんからスタッフの方にマサさんの乗った車椅子が引き継がれる。あっちゃんとわたしにはビジターのパスが渡された。

エレベーターで「さくら老健」のある9階フロアへ移動する。
入所者が勝手にエレベーターを呼べないように、カードリーダーにパスをかざさないとエレベーターはやってこない。なるほど大きいビルならではの配慮だ。

あっちゃんは車椅子にくっついて、マサさんの居室に向かう。
わたしは、病院だとナースステーションと呼ばれるようなエリアで、やり取りをしていたオオヌキさんを待った。

「はじめまして、よろしくお願いします」
「こちらこそ、お世話になります」

いただいたオオヌキさんの名刺には、地域連携室と書かれている。よしおか病院のヤマモト看護師の所属と同じ部署名だ。地域医療と介護のネットワーク、この重要なシステムにわたしたちは今、とても助けられている。

「ケアマネージャーと、それから医師と看護師をご紹介しますね」

それぞれから諸々説明を受ける。

「もし体調が悪化した場合、まずはここの医師が対応いたしますが、下のさくら病院では対応できないこともあるのでその場合は他の病院に搬送することになります」
「はい、そこはおまかせしたいと思います」
「ケアプランの策定にあたり、ご家族として何かご希望はありますか」
「本人が穏やかに過ごせればそれで十分だと思っています」

リハビリと言っても再び歩けるようになるとは考えにくい。マサさんの年齢を考えれば、日々淡々と過ごせる程度になればそれ以上は望まない。わたしはそう告げた。

「わかりました。明日、血液含めた検査を行って、その結果を踏まえてケアプランを作ります。おそらく2週間程度でできると思いますが、郵送するようにしますね」

気になっていることがあった。

「老健というと、リハビリ期間の3ヶ月を経過すると退所しなければならないという話をときどき耳にするのですが」
「こちらでは3ヶ月を過ぎたからといって、すぐに出てくださいというようなことはありません。リハビリの量は変わりますが」

近隣に住んでいるわけではないわたしにとって、3ヶ月というのはあまりに短い時間で、この説明には安堵した。次のステップはおいおい考えていけばいい。

「では居室のほうにご案内します」

部屋は前もって聞いていたとおりに2人部屋だった。入口側のベッドにマサさんが移されて寝ている。横ではスタッフの方が動いている。

「この紙袋がリストに沿って用意してきた洋服とかです。ひととおりは準備できていると思います」
「はい、ありがとうございます。後ほどすべて確認します」

突然、あっちゃんがわたしに聞いてきた。

「荷物、持ってきてくれたの?」
「昨日準備したじゃない。一緒に名前も書いたでしょ」
「あら、そう?」

「こちらは?」というスタッフの方の問いに、「病院で余ったというオムツです」と説明をした。だが、さくら老健では使うものが決まっているそうで、このオムツは使えないらしい。

「そうなんですね。使わないのであれば処分していただいていいでしょうか」
「わかりました、そうします」

そうしたやりとりをしている間、マサさんは何かもごもごと言っているようにも見えるが、少なくともコミュニケーションが取れる状態ではない。逆に周囲に人がいることで疲れちゃうんじゃないかとも思った。
周囲を見渡せば、すごく多くのスタッフの方が動いている。見舞いよりも、今は任せたほうがいいんじゃないか。わたしはあっちゃんに声をかけた。

「今日は移動もあったし、マサさん疲れたと思うからそろそろ帰ろう」

何か不足するようなものがあればわたしの携帯に、と言い残して、わたしはあっちゃんを伴ってエレベーターに乗り込んだ。

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