2021年3月4日木曜日

よるべない日々に。

じっと手を見る、ってどんなときだろう。目に映ってるのは何だろう。
決して浮かれるような楽しい状況ではないだろうし、でも、何か取り繕うようなことでもなくて。静かに何かと向き合ってる、そういう時間なのかな、と思う。

窪美澄「じっと手を見る」を読了。自分とは違う世界とは思いつつも、ただ目を背けている世界だったりするのかな、とも思いながら。

なんでこれを読もうと思ったのか、覚えてない。“マイ読みたい本リスト”に入ってて、それが文庫になってたから。それ以上でも以下でもなかった、はず。


読み始めて、ちょっと正確ではないんだけど、「読み進めにくい」って思った。それは文章と自分の相性が悪い、ということではなくて、登場人物の感情に、ひとつひとつ、ひとつひとつ、思いを寄せる――シンクロするようなことではないけれど――時間が必要だったからなのかな、などと思ったり。

「読み進みにくい」というのは、こうして感想を書こうと思ってもすごく難しいってことにもつながってて、ホント申し訳ないけど「巻末の朝井リョウの解説読んで!」って言いたくなるぐらいなんだ。暴力的ともいえる正直さと。あれ以上の読書感想文は書けないって(笑)。

とは言いつつ書きますけど(^^;

富士山の見える町で介護の仕事をしている日奈。その幼なじみの海斗。
日奈の前に現れるデザイナー宮澤。海斗の同僚となる畑中。
大まかには7つの章ごとに、それぞれの一人称で、それぞれの思いが時間経過とともに語られる、という形だ。7つの物語という感じかもしれない。

冒頭の数ページで伝わってくる。愛おしさにも似た感情があふれ出る。と同時にエロティックさだったり否応なしの現実だったりも。静かだけど衝撃のある数ページ。

ひとつ強く描かれるのはそれを換金し、生きる糧を得ていくこと。“それ”はいろいろだよね。こと介護の場面が多いのでズバリ、労働を、ということになるのだとは思うんだけど、んー。
それだけじゃないな。
ちょっと極端な言い方をすると、誰かの生を誰かの生に届ける、みたいなことかな。
7つの物語があるのだとするなら、その中のどこかに心を寄せるようなことがあるかとも思ったんだけど、自分とは違うなと思いながらも、感触のような部分で、肌感覚のようなところで、刺さる。刺さってくる。
中盤にはもうクライマックスじゃん、って思う。

男女が絡むので、当然のように色恋沙汰はある。雑に言うとセックスの話はあたりまえのように出てくる。心よりも結局のところ身体なのか、みたいに思わされたりもするし、そう単純な話ではないかもしれないし、愛があれば大丈夫なんて夢物語でもない。
考えちゃうなあ。心と身体。心のつながり、身体のつながり。快感と感情と、日常と身勝手と。あーもーこわーーーい(^^;

『まるで栗鼠の巣穴のような部屋で(中略)まるで違う方向を向いていた。』

そういう人間の感情とともに、すごく印象的に描かれていたのが、富士山や草の繁る庭といった妙に有機質な景色と、白い天井のフードコートやオレンジに光る東京タワーといった無機質なもの。コントラストって言うのかなぁ。互いがヘンに際立つのよ。

『東京タワーが富士山のようにも思えた。あれがたぶん、東京の磁石だ。』

そしてさらに印象深いのが富士の樹海。もはや有機質とは思えない、否が応でも思う「し」のイメージ。

それでも、よるべない日々の時間は流れ、草は伸び、白い壁はくすみ、目尻や手の甲には皺が目立つようになってしまう。
開いているのは穴。巣穴。風穴。親知らずの跡。セックス。心――。

ふう。

読後、現実に戻ってくるのに時間かかったなぁ。
声高に「おもしろかった」と言う自信もないし、誰かにお薦めしますみたいなことでもないんだけど、少なくとも、登場人物の思いに、じっと、じっと寄り添ったような感触がある。それは間違いない。


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