ほむほむのエッセイを読むと、何と言うか、心がフラットになるような気がしている。
何度か書いてるけど、自分自身がそこにいるような感触があって、自分だと言葉にできないことが文字になって読むことができるかならなのかな、などと思っている。
「ああ、これだ!」とふいに恥ずかしくなるような一瞬。
というわけで、穂村弘・フジモトマサル「にょにょにょっ記」を読む。
1日ごとに1つの、すばらしくくだらなくて(褒めてるんだよ)細かいことがらについての日記ならぬ“にっ記”だ。「にょっ記」「にょにょっ記」に続くシリーズ3作目。
でも、確かに自分自身の欠片は感じるんだけど、「やっぱり上位互換だよなー」とも思う。
感受性×想像力の領域が僕とは段違いにレベルが高い(あたりまえだ)。「こんなことに気づくのか」と「それをこんなふうに表現できるのか」と、ニヤニヤけらけら笑いながら驚き、アドレナリンがあんまり出ない、静かな感動を味わう。
そうして12ヶ月の「にっ記」を読み終わると、世界――僕に見えている世界――がなんだかフラットになる。メンタルが凪の状態とでも言うのかな。
それがとってもありがたいなーって思う。そういう読書時間だった。
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ところで、作中ときどき登場する「天使」。あれはなんだろう誰だろう。僕のとこには来たことないよ。ずるいなぁ。僕だって天使と話をしてみたい。
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