「じっと手を見る」を読み終えて(感想文は→コチラ)、しばらくその世界にぼんやり佇むようにしてて、ひょいと抜け出すのもなんだかもったいないような気がして、もう1冊読んでみることにした。
窪美澄「ふがいない僕は空を見た」。これがデビュー作になるのかな。
“ふがいない”を入力したら予測変換で“僕は空を見た”と出てきてビビる。
第1章にあたる「ミクマリ」は主人公・斉藤くんの一人称で語られる。表4のコピーを引用させてもらうと、『高校一年の斉藤くんは、年上の主婦と週に何度かセッ(以下略)』なのだ。もうそれだけでかなりマズイのですが(^^;
この「ミクマリ」単体でも短編として成立してるのだろうけど、本全体の構造としては連作になってて、2章から5章は斉藤くんの周囲の別の一人称で語られることになる。
主人公は男子高校生だけれど、読み進めていくと女性の話だな、と気づく。知っておいたほうがいいのかもしれないけれど、覗いてはいけなかった、生々しいというか、女性の本質的なところ、それもより生物(せいぶつ/いきもの/なまもの)としての部分を垣間見たようで、何と言うか・・・。
理解はもしかしたらできるのかもしれないけれど、共感することはできない世界。
ぞわぞわと僕にとっては心が泡立つ物語であった。ちょっとしんどい。
ところが、この“触れてはいけなかったんじゃないか”と思われるような世界が、最終章になって、ひとつの昇華というのか、何かこう、安心――という言葉が適切かどうか――させてもらうような着地点にたどり着く。
いや、何か答えが出るようなことでもなく、何か救いがあるようなことでもなく、納得できるようなものでもないのだけれど、「ここにたどり着いたのか」と“確認”“認識”させられたような、そんな感じだった。
読んでた途中はほんとにしんどくて目を背けたくなるような気持ちだったのに、そんな気分で読み終えられるとは。
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