2016年の本屋大賞受賞作、宮下奈都「羊と鋼の森」を読了。
新米ピアノ調律師の、お仕事小説というよりは成長物語とでもいったほうが近いかな、そういうお話。羊と鋼ってのはピアノ内部の構造ですね。それがたくさんあるという意味での森。そして同時に森は青年の心象風景でもある。
でも僕は、おもしろがって読めた。
“音”というものすごく抽象的にしか表現できないものを根幹に置いているがゆえに、文字として表現される主人公の心情は深く内へ内へ入っていくのに、なぜだかこちらには実にすっと入ってくる。届いてくるというのか。
えらくまわりくどい言い方だけど、美しいことを表現するのに「美しい」という言葉を使う。主人公が気づくという形で。自分で書いてて意味わからん(^^;
『「美しい」も(略)新しい言葉だった(略)知らなかったというのとは少し違っていた。ただ、知っていることに気づかずにいたのだ』
あるいは「目標」という言葉。あるいは「怖い」という気持ち。
わかる、ような気がする。
なんかこう、日常の中で感じている言いようのない不安感とか焦燥感とか、一方で美しく正しいものへの憧憬とか、そういうのが、文字に形を変えて紙の上に印刷されているような気さえする。
僕の感情の奥のほうで共鳴している、と言ったらカッコつけすぎかな。
巻末の解説にはやはり本屋大賞受賞作家の佐藤多佳子。受賞作は→「一瞬の風になれ」
彼女も書いていたが、本編中、主人公が具体的にイメージできるような説明はほとんどなされていない。容姿はもちろん、名前さえも。これが読者それぞれにとっての主人公――ふくらんだりしぼんだり、あるいは伸びたり縮んだり――を形づくることのできる要因になっていることは間違いないだろう。
そう考えると、映画化しちゃうとイメージが固定化されちゃうんだよなーと。帯にもどどんと山崎賢人の顔が出てるからね、どうしても読みながら風貌が出てきてしまう。それが少し残念だったかも。
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『「ピアノを食べて生きていくんだよ」』
ちょっとぞわっとしたセリフだった。
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