「何、どした・・」
言いかけた俺の前に、甘木は両の手のひらを出した。ストップ、そういう仕草。
そして小さくかぶり振り、静かに俺を見た。
「お前じゃない」
そう言われた。
いや、実際には言葉にはなっていなかったかもしれない。言われたような気がしただけなのかもしれない。
だが、甘木の目は、確かにそう俺に告げていた。
そのときの目。初めて見た甘木の冷たい目。憐憫と嘲笑が混じったような、いや、感情そのものが消え去ったような目。
感じたのは恐怖。あるいは戦慄――。
世界がぐらっと揺れた気がした。
180度の方向転換、そして再び志野の背中を見やることなく歩き出した。俺は逃げた。あの目から逃げた。生き延びるための本能だったと言ってもいい。何も考えられなかった。そこにあるのは街灯に薄く照らされた道だけ。ただただ歩いた。
そのあとどうなったかなんて知らない。その夜を境に、俺は志野と距離を取るようになった。
たまに見かけてもあえて目を逸らした。少しだけ赤面して、少しだけ心の奥が痛んだ。結局本心とらやらを伝えることはないまま、関係そのものをフェードアウトさせた。
甘木は何も変わらない。穏やかで優しい男だ。だけど俺だけが見たあの夜の目は、俺の網膜に貼りついたままだ。
だから甘木とも積極的に会おうとは思えなかった。内面を抉られた恐怖感は拭えるものじゃない。それは今も変わらない。甘木の存在を自分からできるだけ遠ざけたかった。
そうか――。原宿で矢野を含めた3人が出会ったという話も、心の中から閉め出した出来事だったのかもしれないな。
俺はそれまで以上に他人の目を気にするようになった。どこかで他人に怯えながらそのたび表面を取り繕い、そのぶん内面がひどく卑屈になっていった。
数年が経ち、志野のことは現実としては終わった話になった。
だが、中途半端なまま封印された思いは、記憶の中から消えることはなかった。その記憶はもちろんあの夜の痛みとともに刻まれている。
矢野と遊び回っていたころ、気になる人がいなかったわけではない。だけどどこかで「きっと俺じゃない」、そう思ってしまう自分がいた。
そして今、部屋の中はどこまでも静かだ。
正直に言おう。静寂の中で思い出すのは志野なんかじゃない。圧倒的にあの目であり、「お前じゃない」という言葉だ。
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