2020年6月21日日曜日

友達がいません。

「いません」というと語弊がありますね。
でも、少ないとは思います。そしてネット上はそれでいいとも思っています。

*  *  *

Facebookアカウントを作ったばかりのころは、自分から友達申請とかしちゃってさ、その「数」が増えていくのを楽しみに見てたところは正直あったよう思う。特に「共通の友達」っていう人には、自分だけが友達じゃないってことに焦りのようなものもあったかもしれない。
Facebookのおかげで二度と会えなかったであろう友人と再会できたことは、今でも大感謝している。

今は別になんとも思わない。

共通の友達がいて、なおかつ本当の知人だなと思ってみても、まあ今さらリクエスト出したりしなくていいか、と思っちゃう。
実際にお目にかかってそういう話題になったときは別よ、もちろん。

適切な言い方ではないかもしれないけれど“断捨離”もした。している。
リムったりはほとんどしてないけど、思いっきり興味なかったり、自分にとってnoisyなことしか投稿しない人(遠回しに書いているぞ)のフォローはどんどん外してた。当人がどうこうということではなく、投稿内容が僕に合わない、という意味だぞ。
僕自身の投稿も誰かにとってはnoisyかもしれない。そういう心配はいつもある。だからときどき「嫌ならアンフォローしてくれ」と言っている。
全部検索できてないけど、おおよそ2015年ころから何度か似たようなことは書いてる。

それから、明らかに自分と絡まない人(まったくオンラインにならないと思われる人も含めて)も、友達の中でも別のとこにカテゴライズすることにした。

noisyという言葉を使ったが、それは決して自分と合わない意見を発する人、という意味ではない。異なる考え方も意見は意見だもん。
ただ、意見というより反射的に強い言葉(うーん、遠回しに説明するの難しい)を発する人は苦手かも。しかも自分のとこじゃなくて、他人の投稿にコメントする形で発せられているのを目にすることが多い。
そういうのは嫌だな。

本来断片的な情報であるはずのものをベースに議論するってのはとてもリスキーなことだと思う。
それなのに、そもそもその情報にすら触れないで反応する人もいるし。
そういう議論(?)は良くも悪くも、「声の大きい人」の勝ちになりやすい。
逆に言えばていねいに対応しようとすればするほど押し出されてしまう。勝ち負けではないけども。

そんなことを考えながら、前述のように“noisy”なものが流れてこないようにしてたら、タイムラインが広告ばかりなってしまったわ(笑)。

まあいいか(^^;

Facebookの関係性は距離の取り方を含めて見直せばいいのだから。


このブログは、更新時に一部「更新しました」とFacebook上で告知している。
そこに「いいね」とボタンを押してくださる方もいらっしゃる。ありがたいのはありがたいんだけど、中には「本文読んでない」と思われる「いいね」のケースもあるんですわ。
そのぐらいのことはアクセスログを見ればわかるのよ。「読めばわかるだろうに」なとんちんかんコメントが付くこともある。

そんな上っ面の「いいね」って何だろう。

この投稿については、もちろんFacebook上では更新の告知をしません。
それでも読んでくださって、何か思うところがあれば、ぜひブログのコメント欄にひと言寄せていただければと思います。

泣いちゃわない程度の厳しいご意見でももちろん歓迎します。

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・・・・あー、リアルな友人と会いたいなぁ。


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