又吉直樹先生がテレビで薦めてくれた北村薫「月の砂漠をさばさばと」(絵・おーなり由子)を読む。
読み始めてすぐに思った。「やべぇ。俺、ほっこりしてる」と。
語彙が足りてないから“ほっこり”で正しく表現できているとは思えないんだけど、小さな暖かな灯りのような、琴線に柔らかく触れられているような、僕のようなおっさんにこんな感情が残ってたとは。うまく伝えられない。もどかしい。
小学生のさきちゃんと「お話をつくる」ことを仕事にしているお母さんの、なにげない家族の日常。
さきちゃんは、寝るときにお母さんにお話をしてもらう。お母さんは「即興」で。さすがプロ。
でもその紡ぎ出される言葉ひとつひとつがやさしく、ていねい。
すべてはさきちゃんのために――。
さきちゃんは自転車に乗れるようになる。言葉を聞き間違えたりもする。猫を飼いたいとも思う。
そうした中で交わされるふたりの会話――なにげない会話でありながらもある意味深いような気もする会話――から、関係性や環境みたいなものも読者に伝わってくる。
『「そういうことって、説明したらつまらないのよ(略)お母さんはね、さきに、そういう感じる力があるっていうことが、とっても嬉しいな」』
いくつかの短編の積み重ねで、それぞれオチもないし、ないようであるし、いやあるようでないし(^^;
「綿菓子」の話の最後も同じように思った。だけどページをめくって、そこに載っていた小さな小さなイラスト、その衝撃たるや。そのイラストとともに物語自体がより大きく響いてきた。
そう、この作品は、柔らかな色合いで描かれた挿画も大きな要素になってる。
物語の一部というか。
考えてみれば、文庫で4C印刷ってすごくないか?
ちゃんと台割見たわけじゃないから4C/1Cとかなのかもしれないけど、見開きとかもあったからたぶん4C/4C。英断。
あっという間に読み切ってしまったけれど、本当にいい読書時間だったと思う。
うーん。上手に感想が書けてない・・・orz...
『子供のやることにも、理屈があるのね(略)――でも、あなたの理屈が見えないことは、これからだって、きっとある。そちらから、こちらが見えないことも。――いい悪いではなくて、そういうものよね。』
ウチの坊主どもがちびっ子だったあのころ、もっともっと彼らの世界に近づいてみればよかったな。おとなの世界にはない、彼らとの言葉のやりとりをもっと楽しめればよかった。
そんなことも思ったり。
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