大会行ったときについての余談というか思ったことをば。
サポートという立場でレースを少し遠巻きに見てたら、自分の心持ちについて気づいたことがいくつかありました。自覚できたというか納得できたというか言語化できたというか。バーン整備でコースに入ると、インスペクションじゃないですけど、自分がコースを競技者として滑るところをイメージしてしまいます。
そのときね、怖かったんですよ。
高所恐怖症なのに高いとこに登っちゃったような感覚。
外スキーが掘れてるとこで叩かれたり、カタハンしたり、後傾してコントロールが効かなくなったり、そして転倒・・・次から次へとバッドイメージが湧き立ち、プルークしながら足元からぞわぞわと何かが上がってくるような感じ。
前も書いたことがあるけど、怪我も怖い。怪我を笑い飛ばすようなメンタルは持ち合わせてないし、滑りながらタイムと同時に安全マージンを削るなんてもうできないんだと思った。
とあるパルクールのパフォーマーの言う『できないことはやらないから安全』という言葉が妙に納得できます。
そういう恐怖心。
背景には去年の失敗がある。あのときから、うまく言葉にできていなかった心情も確認できた。
一本目のミス。テクニカルなミスというよりも、メンタルがまったくもってコントロールできてなかった不安感。
そしてさらには「取り返してやろう」とか思う競争心の欠如。
二本目のリアルな転倒の記憶。その瞬間のフラッシュバック。
そのあとの「今度こそ」と思う向上心の欠如。「負けたくない」という反骨心の欠如。
悔しさよりも気恥ずかしさ。逃げ出したい思い。
そういう恐怖心。
ゲートに入ること自体はもちろん嫌いじゃなかったけど、この恐怖感を抱えたままとてもじゃないけどレースはできない。
(2018.3.12追記)所詮お遊びではあるけれど、競技である以上はそこは真摯に向き合わないとならない、と思うのです。
* * *
選手のみなさんがアップをしている朝の時間帯、文字どおりフリーで滑ってました。けっこうガッツリと。
急斜面、緩斜面。ターン弧は大きく、小さく、深く、浅く。
久しぶりのコブも何本か。もちろんスピードを少し押さえて(^^;
うまくいかないターンのほうが圧倒的に多数だけど、ほんのわずか訪れる、自分の感覚と感触がマッチしたときの快感たるや。
換言すると、さしずめ「自分との対話」か。
感度を上げる。感覚が磨かれる。純度が高くなる。格別の快感がやってくる――。
競うわけではなく、比べるわけでもなく。
まあマスターベーションであることには間違いないけども、どうも性に合ってるみたいだ。少なくとも「今」の自分にとって。
つまりその。いやー、ゲレンデスキーは楽しいなぁ。
そこに仲間との会話があればなお楽しい。
「あのリフトはすいてるね」
「次はどのコース滑ろうか」
「ここの雪質はよかったね」
「昼メシはどこで食べようか」
・・・来シーズンは「滑りません」けどね。受験がんばれ>坊主1号・2号
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