“スポーツは闘いです。しかし、そこにはルールがあります”
(「SPORTS FOR PEACE!」プロジェクト前文より)
競技にはレギュレーションがある。可能なかぎりフェアに競技を行うための前提となるルールのことだ。
他の競技者へのリスペクト、敬意と置き換えてもいい。
ことボクシングにおいては体重別の階級というレギュレーションがある。あれだけ細かい階級分けがなされているのはわずか数kgの差でパンチ力は雲泥だとされているからだ(できるだけチャンピオンをたくさん増やしたい興業的事情があるにせよ)。
そのレギュレーションが守られていないというのは、競技として成立しない。
本来は守らないやつが失格。それでおしまい。
ファイトマネーどころか契約違反で違約金だな。
それでも戦いが行われたというのは「しょせんボクシングはスポーツでなくて興業だからね」と揶揄されてもしかたがない。
ルールを守って、フェアに正面から戦おうとした「正しい」選手の心情は、モチベーションは、いかばかりか。そんなメンタルで試合をするなんて。
ルールを破った状態で勝利(はたしてそれを勝利と呼んでいいのか甚だ疑問だが)して「うぇーい」とやる側の心理など、到底想像できない。
ボクシングに限らず、スポーツにはアンチドーピングというルールがある。
ドーピングをした競技者に対して「ずるい、汚い、卑怯」と言うのは当然だし、意図的であるならばそれは許しがたい行為なのだが、それだけじゃない。
同じ土俵に上がっていた多くのフェアでナチュラル(クリーン)な競技者たちの、費やしてきた努力や時間やコストや機会や、未来さえ奪う、つまり犯罪行為なんだよ。
それに対して「おとがめなしの再戦」とか、いったいなんなんだろうね。
確かに山中慎介はキャリアのピークを過ぎていたのかもしれない。
ネリというボクサーは強いのかもしれない。
しかし、「もしも」「たら・れば」ばかりが浮かぶ。偉大なチャンピオンのキャリアがこんな形で幕を下ろすとするならば、あまりにもせつない。
♪ルール無用の悪党に正義のパンチをぶちかませ
♪フェア・プレーできりぬけて男の根性みせてやれ
むなしくも「タイガーマスク」の主題歌が頭の中をぐるぐるしてる。
・・
・・・
だからこそ、ルールもレギュレーションも硬直化しちゃだめ。常にフェアであるために見直し続けなければならない。ボクシングに限らず。
見直すというのは「変える」という意味ではないからね。フェアであるのかどうか、常に検証し続けるという意味。その上で問題があれば直せばいい。
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