2017年10月6日金曜日

骨を彩る。

キョンキョンのオススメ第22弾、彩瀬まる「骨を彩る」を読んだ。
収録されているのは5つのストーリー。それぞれ「主人公」は違うが、連作なので登場人物やその背景は重複し、絶妙に絡み合う。
比較的最近文庫化されたので、書店によっては面陳列になってたりします。

人間誰しも「外面」と「内面」を持っていて、「骨」というのは「内側にあるもの」という意味合いで付けられた題名だと理解した。届くようで届かない場所にあるもの。
しかも言葉の持つイメージはどちらかというと、暗い。

心の中の骨。心の芯と言い換えてもいいかもしれない。
それが欠けたり、黒ずんだり。
あるいは魚の小骨のように引っ掛かったり。
そしてそれは死してなお残る根源的なもの。

そうした黒ずんだ骨は、多くの場合「過去の経験」によって形成される。
たとえば亡くなった人と生きる人との、あるいは、過去と現在との、すごくセンシティブな感情の(もちろん今を生きてる人の感情の)関わりとやりとりを文字として見せられる、そんな印象を持った。

苦しいか切ないかと言われると実はそういうことでとなくて、冒頭の「指のたより」のように、過去のことは次第に昇華して(消化して)いく。黒ずんだ骨は、やがて彩られていくのだと。

つまりこれは過去を振り返る話ではなく、明日への希望の物語。

さまざまな「心の癖」を持つ登場人物の感覚は、いちいち腑に落ちる。
内面が描かれない登場人物と、内面が描かれる同じ登場人物は、まるで別の人物のようでいて、しっかりと重なって、しかも読者の心の中にも存在する。骨ならぬ肌感覚として「そうだよね」とうなずく。

そう、肌感覚。
内側に納得ができるからこそ、外側、たとえば目に映るもの、たとえば肉体が触れ合うときに感じる相手の熱、そうしたことにも納得ができる。大人の触れ合いだけでなくて、中学生の初々しいデートで肩が触った瞬間の熱なんてのも。

そしてそれはとても美しい、そう思った。印象的な表現・フレーズがそこここに散りばめられ(数え上げたらきりがない)、文章そのものが美しいのだとも思った。
特に「落ち葉が舞う」瞬間の美しさったら!(←ネタバレっぽい)

物語の中で、そうしたことに気づかせてくれたのは、登場人物のひとり、中学生の小春。
未来もありながら、同じように黒ずんだものを持つ中学生というのがまたなんとも。

打ち震えるような感動をしたわけでもなく、悲しいわけでももちろんなく、ただただ涙が出そうになった。
いずれまた読み直してみたい。そう思う一冊だった。
もし書店で手に取ることがあれば、巻末のあさのあつこによる解説から読んでもいいかも、です。

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