2015年11月8日日曜日

プロジェクト・サーティ(付)弁明

今回初めてフィクションというものを書いた。
感想は・・・お寄せいただかなくていいです。恥ずかしいし、怖い。僕は打たれ弱いんだ。

実際に書いてみて思ったことなど、ここに残してみたいと思う。読まなくてもいいセルフ解説、別名「長ったらしいいいわけ」である。
もしかしたら本編よりも読み応えがあるかも、だ。

■そもそも。
もともと文章を書くことが好きで、だからいつかはフィクションを書いてみたいという気持ちはどこかにはあったと思う。だけど書ける技量もないし、書きたい「こと」もなかった。
ところが、個人的に現実世界で本当にいろいろなことがあって、でもそれはブログに書いてしまうような話でもなく――生きていると苦しいこともすごく多くて、心の中に何かが溜まっているような気がしていたのは正直なところ。それを何らかの形で吐き出さないと――そういう意識はどこかにあったかもしれない。その意識がきっかけになった。

■書きたかったのは。
書いてみたいこと、それは自分の内側というか心の裡というか。
他人の目を過剰に意識していることとか、自分の中に常にある暗くて黒い部分。
そういう意味では「私小説」と呼んで差し支えないと思う。

■書き始めた。
書きたいことはある。そこをゴールに決め、テーマのようなものをまず「序」として書き始めてしまった。要するにゴール地点だけおぼろげに決めて、スタートしてみてしまった、ということ。ここがそもそも相当に浅はか。
なんという見切り発車。プロットもディテールも何も考えていない。ゴールさえあればそこにたどり着ける、きっと大丈夫だろうと目論んで。今思えば遭難してしまうパターンとしか思えない。

■エピソードって。
私小説、つまり自分の体験とか感情がベースになっているが、エピソードそのものはまったくの創作。僕自身の思いみたいなものは入っているけれど、実体験ではない。
事実は小説よりも奇なり、逆に言えば作ったものはおもしろくないのだと、書いていくうちに気づく。困った困った。

■登場人物って。
登場人物にはモデルがいる。そうしないと書けなかったから。
ただ、イメージとして借りているだけで、人物像はまったく別物。特定の人物と空想上のキャラクターが重なっている部分はほぼない。これは断言できる。
よく言われる「登場人物が勝手に動き始める」は体験した。不思議な感じだった。たとえば「矢野」という人物、当初考えていたのとまったく違う人間になっちゃって、ストーリー的に困ってしまった。そこでしかたなく「甘木」という人物を追加した、という経緯もあったり。

■なかったことにしたい。
登場人物が勝手に動き始めると、話が考えもしない方向に転がり始める。ゴールに向かってないとでも言おうか。
さらに、私小説であるがゆえ、その書いている瞬間瞬間の自分の心のありようによって内容が「上下」するし、文体すら変わっていく。
プロットを決めていなかったことがここで響いてくる。話に矛盾は出てくるし、何書いてるんだか、混乱が始まる。書き上がったものから順次公開という方法を取ってしまったから、アップしちゃったものはもう修正できない。
一人称で書き始めてしまったのも視野とか展開とか、言葉そのものを狭めてしまう要因になった。これはもう「夢オチ」以外では思われない、そう思った。

■P-30って何だ。
タイトルにも使った「P-30」とはそもそも何だったのか。本編ではあえて説明はしなかった。というか書けなかった。だって何も決めてなかったんだもーん。
イメージしていた事象はあったんだけど具体的ではなく、前述のように「ディテール何も考えてません」の最たるもの。書いてくうちにぼわんとしたイメージが形になるかと楽観していたのも確かで、だけど結局何も思いつかないという体たらくで。
30という数字は、30人とか30日とか30年とか、「それなりに大きい・多い・長い」を想起させるものとして使った数字で、そのあたりの雰囲気と物語をリンクさせようという壮大な野望はあったものの、案の定頓挫。
収集がつかなくなったので、途中で「明確にしない」ということに決めてしまった。
何も書かないことに決めると、今度はちょっとミステリっぽい空気が出てきたが、実はそんなつもりは毛頭なく。正直言うと、「失われた過去」みたいなサブテーマを持ち込んで、ちょっとミステリに寄せようかとも思ったりはしたけれど、書いてくうちにどんどんそこから離れていっちゃった。関連して用意したネタはすべてボツに。
もうひとつ、30は「だいたい30話ぐらい書くかな」と思ってたことにも起因した数字。実際は18話で力尽きた。

■しんどかったのは。
6話から10話ぐらいのところはしんどかった。自分の中からネガティブを引きずり出すような作業を繰り返す必要があって。苦しかったなぁ。
必死になって取り出した感情だから、本当はもっともっと内面のネガネガしたところを書こう、登場人物と「俺」のドロドロした部分を書こうと思ったんだけども、なぜだか書いていくうちに明るい方向に自然に揺り戻された感じがする。それもまた自分の心のありようなのかな、などと思い。
あと、会話劇ってすごく難しいなと思った。たくさんしゃべらせるとどうしても説明的になっちゃうし、それを避けようとすると間に説明をはさまないと伝わんないし。さらに人物像によって言葉のリズムって違うと思ったり、かといってリアルな会話を文字にするとすごく違和感のかたまりだったりするし。会話しているうちにどちらのセリフだか書いてるこちらがわかんなくなるようなケースも。

■最終回も難しい。
やっとの思いでたどり着いた最終回。書くことは決まってるのに、ゴール地点は決まってるのに、どうにもに「収まりが悪い」。こんなに何度も書き直すことになるとは。
これが正解かどうかもよくわからなくなったけど、とりあえず「了」と書いた。出来そのものより、終わったことに正直ほっとしている。

大しておもしろくもないものを書き上げた今だからこそ、才能というものの存在の大きさと縁遠さを実感する。だからきっともう書かないし、もう書けないと思う。
プロの皆さんの作品に対して、ブログであーだこーだ言ってるぐらいが身の丈ってやつだな、と。
とか言いつつ、また書き始めたらごめんなさい。

温かい目で読んでくださった方々に御礼申し上げます。

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