2025年8月15日金曜日

8月15日に。

戦後80年。
そういえば日航機墜落事故からも40年か。昭和100年とも言われる今年、いろいろ節目の夏になっているのだな。

今日この日に思うのは、至極単純かつあたりまえのことかもしれないけど、平和がいいよね、ということ。むしろ、その一点と言っていい。
その前提があるからこそ、今自分自身がある意味「普通に」生きていられるのだから。
もちろん僕自身は昭和20年の時点では影も形もない世代だから、肌感覚として理解しているとは到底思えないのだけれど、それでも。

と、こういうことを考えるときに最近特に強く思うことがある。それは「正義」ということだ。

僕が子供のころには「正義のヒーロー」がテレビの中にいて、彼らの行動規範は正義であってそれは絶対だった。地球征服を企む宇宙人は「反正義」の象徴だった。
でも今は。

テレビの中のヒーローも悩むし、敵方とされる悪役にも彼らの信じる正義があって。

そうか、と思う。正義ってそれぞれなんだ。
人それぞれ思う正義には差異があって、たとえ似通っていたにせよおそらくは根っこの部分では相容れない部分があるはずだ。
「事実」はそこにあっても「真実」はその事実を見るそれぞれの人によってまったく違ってしまう、ということに近いものではないかと思う。

そして正義は譲ることができない。だって、ある意味自分そのものだから。
だからいさかいは起こる。起こってしまう。譲れない。だから終わらない。

でもいさかいはないほうがいいに決まってる。じゃあ何ができる。

わかんないよね。だってみんながみんな自分の言ってることが正だと思ってるから。

でも、少なくとも僕は、その相手のことを考えたいと思う。
腹が立ってしかたなくて、もちろん納得はできないだろうし、ましてや共感なんて絶対にできない相手のことでも。
考えることで、知ることはできる。知れば少しだけでも差異の壁が薄くなるのではないのかなと、そう期待している自分がいる。

自分のことはわかってもらえないという、諦めも持ち合わせているのだけれど。
話し合いだけでは解決はしないということも含めて。

そんなことを思う、今日8月15日である。



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