“いま、言葉の時代だなと思う”
冒頭、こんな書き出しから始まる俵万智「生きる言葉」を読む。ことコミュニケーションに関しては相手のバックボーンがわからないからこそ、想像力と言葉が重要だという著者の「言葉」に、首がもげるほど大きくうなずく。
ネットはもちろん、生成AIだって言葉が使えないと話にならない。
“言葉に対する足腰を答え、楽しみ、仲良くしていきたい”(「はじめに」より引用)との思いを新たにした。
「知識」とか「教養」といった意味においてものすごく「これぞ新書」っぽい部分がたくさん詰まってる。言葉との向き合い方って言うのかな。
こうして駄文を書く私にとってとっても示唆に富んだ一冊で、そうだな、国語辞典の隣に並べておきたいような、といったら伝わるだろうか。何度も繰り返し確認したい言葉たち――付箋だらけになっちゃいそうだ。
一方でこの一冊は単純にエッセイとして楽しすぎた。最高である。
まず文章のリズム。読みやすいのよ。これは著者が歌人であることともちろん無関係ではないだろう。
そのリズム乗ったエピソードそのものが「!!」なのである。
私の勝手なイメージの中の穏やかな人物像とはまったく異なる、アクティブで、むしろエキセントリックで(失礼)。
いろいろなエピソードの中でも特に子育ての話はおもしろかったなー。
むしろ子育て真っ最中に読みたかった(笑)。
抱きしめて確かめている子のかたち心は皮膚にあるという説
ホスト歌会のことや、「言葉を疑う」という谷川俊太郎さんとの話も実に興味深かった。。
翻訳者谷川俊太郎には私も強く影響を受けた気がする。特に「ピーナッツ」ね。→ご参考ブログ
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書いててだんだん支離滅裂になってきた。要するにひと言で表すなら、「おもしろくってためになる」。どこぞの学習マンガみたいな言い回しだけどさ、本当にそんな感じだったの。
繰り返しになるが、最高である。
“言葉は、世界をともに歩く頼もしい相棒だ”
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実際には付箋は貼ってないしマーカーを引いたりもしてなくて、読んでて「おっ」って思ったところはスマホで写真に残したりしてる。その中から、自分の備忘のためにいくつか引用させていただく・・・って多すぎですがな。ごめんなさい(平身低頭)。
読み聞かせというのは、生きた言葉によるオーダーメードの読書なのだ。「そうはなりたくはありません」と言ったそうだ。(略)寂しくてつらいけど、この気持ちは自分にとってすごく大事なものだから忘れたくありません、という理屈らしい。子どもの成長を願うなら、環境を整えてやるまでが親の務め。過程を覗いてみたい気持ちや、成果を確認したい気持ちは、結局は自分の欲でしかないそこが問題視されているのに(略)と文そのものの正しさを主張している。この手の行き違いや論点のすりかえは、SNS上のいさかいなどでも、よく目にすることだ。家電の言葉を吟味する会議、全方位に向けて繊細なクソリプセンサーを稼働させていそうだ。潤滑油としての曖昧表現だが、使いすぎると滑るということを心しておきたい。「も」があったら、一度「が」「は」「の」「を」など別の助詞に置き換えてみるのがおすすめだ。言葉で100パーセントと気持ちを説明するのは不可能だ。でも、それは言葉が無力ということではない。たとえば「うれしい」とか「かなしい」とか(略)それは気持ちのほんの一部というか、目印のようなもので、全部を説明しているわけではない。けれど、なにもないよりはずっと助かる目印だ。自分にも他人にも、恥ずかしくない生き方ができている(略)そういう人が賢くないはずがないと思わせられる。言葉にするということは、その体験をもう一度生き直すということである。客観的に見直すということである。それぞれの器に対する濃さの程よさが、もしかしたら具体的な文言以上に結果に影響する。
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