2017年7月19日水曜日

応援するということ。

親善試合で酷い負け方をしたらしいことで、すっかり有名になってしまっているJ1浦和のサポーターです。こんにちは。

この話題について書くのは、炎上目当てな奴の思うツボすぎて、非常にイヤなんですが、僕がブログに書いたところで世間的な影響力はまったくなかろうと思い、書きます。言われっぱなしはやっぱ癪だし。

僕個人が浦和のサポーターだと知った上で面と向かって「浦和弱いwww」と鼻で笑う人はさすがにいないです。「いやー、今回は勝点いただいちゃいましたっ」っていう他チームのサポーターはいますけど、そこにはバカするような感覚はなくて、サッカーファミリーとしての言葉遊びの範疇だと思っています。
一方でネット上にはいろんな言葉が飛び交ってます。心地の良くない言葉も中にはあります。ただ、それには耐性があるというか、実際弱かったり、問題があったりもするので、「ムキーっ」てなるぐらいで、怒り狂うということはないです。

つーか、「浦和弱い」なんて僕たちのほうがよっぽど知ってるっちゅうねん。

だから「酷い」と言われても、まあセーフ。個人的には。
ただ、公人(笑)に言われたらイラッとはしますわね。そこに突っかかる人も当然出てくるでしょう。ただし、犯罪予告とか絶対ダメ!

問題はそれに対して、「応援とは他人の人生に乗っかるムカつく行動であると断じ」、応援という行為そのものを否定したことだ。全文引用しようと思ったが、それこそムカつくのでやめました。

これはアウトだろ。

そもそも「投票」という形で「応援されている人」の発言だからね。投票したという方が仮にいたらその方がどれだけ嘆くのか、想像すらできないんだろうね。こんなにわかりやすい、自分に突き刺さるブーメランもなかなかないぞ。

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別に人生を賭して応援しているわけじゃないけど、その瞬間瞬間を人生の一部として応援している、と思う。
そういうのって、別にサッカーに、スポーツに限らないよね。そういう、人生の一部を預けることのできるものがあればそれを応援という形で心を寄せる、それが文化ってことでしょうし。

細かいこと言うようだけどさ、最先端医学の研究者を応援することだってあるよね。自分ができないことだもの、応援するしかないじゃない。場合よってはそれに人生を乗っけることだって、当然あるよ。

赤ん坊がつかまり立ちをしようとしたら、たとえわが子でなくても応援するよ。その子の未来の瞬間だもの。

そう考えると、僕という人間は「他人に自分の人生乗っけて応援しています」、だ。
あなたがムカつこうが一向にかまわん。

本投稿は筆者個人の意見ではありますが、政治的な主張をしているものではありません。

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