今回今さらながらに見てみた映画は「アリー/スター誕生」です。
ストーリーについては改めて語ることもないんだろうけど、有名ロックスターが、若き才能を見出し、2人は恋に落ち、やがて彼女は世界的ポップスターへと駆け上がっていく。そしてやがて――ってところでしょうか。前半は見ててつらかったんだよね。
おもしろくないってことではなくて、ロックスター(カントリー寄りですね)の苦悩と弱さ、そして落ちていく未来が見てるようで。
それはブラッドリー・クーパーの演技によるところも大きかったと思う。
この映画はもちろんレディ・ガガの映画なんだけど、僕には誕生するスターよりも落ちていくスターのほうの印象が強かった。
こういう映画ってとかく古いものと新しいもの、ロックとポップ、あるいは男と女みたいな対立軸で語られることが多いとは思うんだけど、少なくともどちらかを美化するような描き方はしてないし(主人公はアル中の夫に寄り添いながらも音楽的には一切耳を貸さないし)、議論の余地を残すみたいな感じは商業的にはうまいなぁと思う。
でもね、そんなことよりも単純に素晴らしい音楽に彩られた映画を楽しめるかどうか、そういう見方をしたいよね。うん。
特に捻りのある話ではないし(笑)。あと、ドラッグはダメ。ゼッタイ。
* * *
もう1本、「アリータ:バトル・エンジェル」を。アリーとアリータが並んだのはホント偶然なのよ。ウソっぽいけど(^^;
混乱後の猛烈な格差社会というSFはよくある設定で、「上に行きたいと考える者」だったり、「自らが何者かを知らない者」が目覚めていくという設定もありがちと言えばありがち。
だから映画として面白かったかというと特にコメントするようなことはなかったと思う。すいませんね。
ただ、この映画はひたすらに美しかった。
初めて家電量販店で4Kテレビを見た、あのときの「うわー・・」という映像体験が自宅で堪能できるとは!
可能なかぎりテレビ画面に近づいて。映像への没入感ったらないから。
その意味では、さすが「アバター」のジェームス・キャメロンと唸る。
この技術があれば主人公のアリータはもっと「人間に寄せる」ことができたはずだ。いわゆる「不気味の谷」を越えることができる、と。
ただそれをやってしまうと、サイボーグであるアリータがサイボーグとして存在できない。人間とサイボーグの関係性という物語の根幹が複雑化してしまうだけだ。
だからこそ、異様なほどにアニメ的に目を大きくして違和感を残した、そう考えてしまう。
そこで思い出したのが「盛れるアプリ」とやらで目玉をやたらでかく加工された写真。個人的にはアレ、気持ち悪い(=違和感の塊)なのだけれど、あれにあこがれる人たちも多いのだろうか。だとすると上に書いたことがちょっと違ってくるかもしれないな。
やはりこの映画は「映像」を楽しむ映画だ。
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