米澤穂信「王とサーカス」を読む。
主人公の雑誌記者・太刀洗万智は他の作品にも出ているようだけど、特段シリーズと分類されているわけではなさそうだったので、あまり気にすることなく読み始めた。
カトマンズ――この言葉だけで頭の中になんとなく靄がかかったような気分(^^;
もちろん実際に行ったことはないし、イメージの中だけのことなんだけど、同じように古くて宗教色が強い欧州の街のイメージと比べても、圧倒的にピントが合わない感じだ。
その地で唐突に起こった国王の死。この事件そのものは史実。
取材を始めることになった太刀洗の前に漂う危険な匂い。そこにいやおうなく巻き込まれていく――作中では「身罷う」なんて言葉も使われていた。
「悲劇を娯楽として消費する」
何を見るのか、何を書くのか、そして何を書かないのか。サーカスのように娯楽として記事を提供していくこと――記者としての信念を突き付けられる。
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僕が本屋なら間違いなくPOP書くね。実際POPを見て手に取ったわけだが(笑)。
だって、ページをめくる手が止まらないもの。この世でありながらこの世でないような、未知の異国で起こる事件のまさに虜になってしまった。
ノンフィクションの事件とフィクションの事件。
そのはざまで巻き起こる謎に、ミステリーとしても引き込まれる。
答え合わせ的には「その可能性」は序盤から感じてはいたんだ。でもそこから起こる事件の大きさに、その小さな可能性を考えることに気づかなかった。くそう。
その意味では納得のラスト・・・・と思いきや!もう一段!!のビックリ!
それでもミステリーというジャンルだけに分類してしまうのは惜しい気がする。
何かこう、「問われている」気が常にするんだ。
『誇り高い言葉を口にしながら、手はいくらでもそれを裏切る。ずっと手を汚してきた男が、譲れない一点では驚くほど清廉になる』
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