2017年11月17日金曜日

ふわふわでちりちりするあのころのこと。

最近の通勤の友(お供、か?)はもっぱら歌謡曲
と言っても70年代のフォークから、『ザ・ベストテン』や80年代アイドルを抜けて、おおよそJ-POPという名称が定着する時代まで幅は広い。
古いのを聴いているのは、新しいのがあんまりないという事情もあって、その話はこないだ書いた

250曲ほどのプレイリストをランダム再生にしているので時代性も何もないんだけど、前触れもなく流れてくる「あのころ」の曲にピクリと引っ掛かることがある――日本全体が浮かれてた「あのころ」の曲。

ツイードのジャケットが夕陽を集めたり、キールのグラスを頬に当てたり(©杉山清貴&オメガトライブ)して浮ついてた(笑)のが、おそらく「あのころ」への入口だったなと思い当たり、そしてイヤホンからWinkや工藤静香が流れてきたときに僕の引っ掛かりはピークになった。

たしかに浮かれてたよね。現実には僕自身はカネなんて持ってなかったんだけど、そんなことすら気にせずに夜を徘徊してた気がする。

なんというか、僕にとってのイメージはシャボン玉のような「泡」ではなくて、メレンゲの上を歩いているような浮遊感。
「泡」か――。今なら泡ことシャンパンなんだろうが、あのころのステイタスはブランデー(コニャック)。ヘネシーとか。味なんてわかってなかった(^^;

けっこう楽しかったのに、なんで「淋しい熱帯魚」で心がちりちりするんかな。

・・・つらつら考えてみるに、あのころって世代的にも時代的にもターニングポイントだったじゃないのかな、と。

「あれが日本のターニングポイントだった」みたいな大層な話を書くつもりは毛頭なくて、あくまでも自分にとって、の何がしかの曲がり角というか分岐点だった“可能性”があったころなのかな――今の自分を後悔しているわけじゃないのだけれど、選べたことがあのころにはいっぱいあったような気がするし・・・なんてセンチメンタル・ジャーニーなのであります。

もし違う自分になってたらどうなんだろう。「FU-JI-TSU」を聞きながら、そんなことを思うと胸の奥がちりちりするのです。

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