最近の通勤の友(お供、か?)はもっぱら歌謡曲。
と言っても70年代のフォークから、『ザ・ベストテン』や80年代アイドルを抜けて、おおよそJ-POPという名称が定着する時代まで幅は広い。
古いのを聴いているのは、新しいのがあんまりないという事情もあって、その話はこないだ書いた。
たしかに浮かれてたよね。現実には僕自身はカネなんて持ってなかったんだけど、そんなことすら気にせずに夜を徘徊してた気がする。
なんというか、僕にとってのイメージはシャボン玉のような「泡」ではなくて、メレンゲの上を歩いているような浮遊感。
「泡」か――。今なら泡ことシャンパンなんだろうが、あのころのステイタスはブランデー(コニャック)。ヘネシーとか。味なんてわかってなかった(^^;
けっこう楽しかったのに、なんで「淋しい熱帯魚」で心がちりちりするんかな。
・・・つらつら考えてみるに、あのころって世代的にも時代的にもターニングポイントだったじゃないのかな、と。
「あれが日本のターニングポイントだった」みたいな大層な話を書くつもりは毛頭なくて、あくまでも自分にとって、の何がしかの曲がり角というか分岐点だった“可能性”があったころなのかな――今の自分を後悔しているわけじゃないのだけれど、選べたことがあのころにはいっぱいあったような気がするし・・・なんてセンチメンタル・ジャーニーなのであります。
もし違う自分になってたらどうなんだろう。「FU-JI-TSU」を聞きながら、そんなことを思うと胸の奥がちりちりするのです。
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