2023年12月15日金曜日

小野伸二のこと。

僕らと彼の出会いは1998年。
「高校選手権には出たことがないけど、世代ナンバーワンの選手が浦和に来る」という話を聞いていた。どこでその話を聞いたんだろう?たぶんネット黎明期だから「掲示板」経由かな。

期待にたがわず、背番号28を付けたまだ幼さを残した彼は、瞬く間に浦和の中心選手となり、とかく試合結果でギスギスしがちな僕たちを心の底からワクワクさせてくれた。とにかくスペシャルだった。

その彼、小野伸二が2024年現役を引退した。

現役ラストマッチの相手はくしくも古巣浦和レッズ。先発、そして20数分プレーを見せてくれた。
相手チームの監督・コーチの逆恨み的スピーチを我慢して、引退セレモニーまでDAZNでちゃんと見たよ。

この試合の中継を見てて改めて思ったのは、浦和在籍時代って案外短かかったんだなという事実。
「箱推し」である僕にとって、移籍していった選手よりも今いる選手のほうがはるかに大切なのだけど、伸二のことはやっぱりずーっと追いかけてたな。国内の他チームに移籍した後も。

2001年のフェイエノールト移籍のとき僕たちは『世界で輝け』と送り出した。まだ世界を知らない浦和レッズに、世界への可能性を見せてくれたのが伸二だったんだと今は思う。

そして期待どおりに欧州タイトルをも見せてくれた。
浦和の選手が世界で活躍できるなら、浦和レッズが世界を目指してもいい――それから7年後、浦和レッズはクラブワールドカップに出場することになる。準々決勝では欧州から戻った背番号8の小野伸二がピッチに立った。

・・・そして今夜、浦和レッズのクラブワールドカップ2023での戦いが始まる。

と、こうして書いてるだけで、たとえキャリアの中の短い期間でも浦和に与えてくれた、残してくれたものは大きかったんだと改めて思う。
伸二、ありがとうね。そしてお疲れ様でした。

2001年のレプリカユニには8番を入れてたんです。

というだけで話は終わらない。

1999年7月。シドニー五輪の予選で大けがを負うことになった伸二は某所の病院に入院していた。そこにお見舞いに行くことになったのが、誰あろう僕の妻氏。
当時伸二が契約してたスパイクのサプライヤー(浦和のチームサプライヤーではなかった)でバイトをしてた妻氏、別部署にも関わらず伸二のファンであるということで、サッカー担当者から同行をお誘いいただいたのだった。

その病室で撮影した1枚のポラロイド写真がわが家にはある。もちろんネットに公開などしないよ。

手術後だというのに、まるでボールを蹴ってるときと同じような笑顔。
脇に書かれた「焦らず頑張ります」というコメントと直筆サイン。家宝であります。

その後も妻氏はちょこちょこサッカー担当にくっついて、国立の代表戦に行ったり、あるいは大原(浦和の練習場ね)に行ったりしてたの。で、大原で伸二とツーショット写真を撮ったりしてね(うらやましい)。

そして2000年秋、妻氏は息子1号の出産にあたりバイトを辞めることになるわけだけど、その送別の席で渡されたのが、パネルに加工された伸二とのツーショット、そこに『元気な赤ちゃんを産んでください』の手書きメッセージ、そして直筆サイン。家宝であります。

余談だが、そのパネルを出産の入院時に病室に持ち込んだところ、写真を見た看護師さんに「すてきなだんなさまですね」と言われてたのはナイショだ。だって、おれ、微妙に落ち込むからな(^^;

そんなわけでわが家とも少しだけ縁のある、小野伸二さん。改めて現役生活お疲れ様でした。


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