勝田台駅前からリスタートしてすぐ、いくつかの道標と常夜燈が置かれたところがあった。設置された看板によれば、その道標のひとつが市川團十郎が寄進したものとか。横に確かに『六代目團十郎』と彫られているような・・・たぶん。
新勝寺と團十郎と「成田屋」。その強い関わりがこうしたところからもうかがえるということか。佐倉街道という名称が、成田街道になった経緯もこのあたりに関係しているそうな。へー。
さあ、その成田へ向かいましょう。
気づくと日が昇るにつれてだんだん雲の色が黒くなってきた。真上だけは真っ黒で、周囲360°は青空が見えるという不思議。
勘のいい方ならお気づきでしょうが(笑)、案の定空が泣き始めました。さすが俺。
ちょうど臼井宿に入るあたりでポツポツときて、「雷電為右衛門の碑」のとこで「手形でけぇ」とかやってたころにはウインドブレーカーがしっとりと濡れるほどに。
空を見ながら「あそこまで歩いていけば晴れてるはず」と先を急ぐも、逆に後ろからやってきた晴れ間に追いつかれた感じ。そんなわけで雨は短時間だったんで助かりました(^^;
臼井の先で少し寄り道。印旛沼のほとりに立つ。ただなんとなく見てみたかった。ただそれだけ。うん。
ちょっと寄り道。#印旛沼 #旧成田街道 #さんぽニスト pic.twitter.com/utYvpgdntw
— 144factory [kaz144] (@144factory) March 20, 2020
しばらく国道296号を進み、印旛沼から流れ出た鹿島川を渡ると右手に小高い丘が見える。これが佐倉城址か。佐倉の市街はこの城址の先に広がっていた。
城下町らしい、いくつかの直角カーブを経て、おそらくはメインストリートと思われる場所に出る。住所表示は「新町」。
印象的な古い建造物が遺され、幟や看板、いや町全体から「城下町としての矜持がある」、そんな印象を覚えた。ゆっくり歩いてみたい街だなぁ。
「佐倉の桜」。くっだらないダジャレを思いついたわけですが(恥)、実際に桜の木は多く植えられている気がする。気のせいかな。気のせいじゃないかと思うんだけどな。
佐倉宿を出ると、すぐに次の酒々井宿。
しすいってアウトレットしか思い浮かばないなぁ・・・とか思いながら進んでいくと、成田街道の道幅が狭くなり、逆に交通量は多くなり、歩道もなくなり路側帯のみ。怖い怖い。
その交通量のめっちゃ多いところに「酒の井」、すなわち町の名の由来になった井戸があった。お酒の出る井戸か。ポンジュースの出る蛇口みたいなもんだな(違)。
ちなみに酒々井は「日本で一番古い“町”」を推してました。
酒々井宿の先は成田街道を縫うように旧道を進みます。車来ないから歩きやすーい(笑)。
「おっもう成田市だ」
具体的に何がどうということでもないんですが、大きな町が近づいている、そんな空気を感じます。
街道には「一本松通り」という名前が付けられ、京成本線の線路をオーバーパスで越えると、着いたな、という実感も。
成田市街地に入ると、ちょうど尾根を歩いているようで、左右の低いところに電車(右が京成、左がJR)が走るこの道はまるで「天空の参道」。なんて小洒落たことを考えたり(^^;
ふと目の前が開けたかと思うとそこは成田駅前。
車両規制がかかった表参道を一気に新勝寺へ歩みを進めます。うなぎの匂いがっ!でも食べなかったよ。
表参道をぐぐっと下ったところが成田山新勝寺総門。ついにゴーーーールっ!!
たった2日で着くなんて近いな成田。ちょっとあっけなかった。
本堂まで上がって無事の到着の御礼と、世の中と家族の安寧を祈らせていただきました。
そしてその脇には立看板が。
『新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため御護摩にて疫病退散を祈願しております。大本山成田山新勝寺』
今回の行程:勝田台駅~臼井宿~(印旛沼)~酒々井宿~成田宿~成田山新勝寺(→GoogleMapsのマイマップ)。お昼ごはんは酒々井の先のコンビニでおにぎり。酒々井なんもねえ!と言いつつ。まあバイパス沿いにはあったんだろうが。朝飯もおにぎりだったんだよ・・・。
お土産は新勝寺表参道、米屋の栗蒸し羊羹。美味。あと、味噌がけピーナッツも。佐倉に味噌屋さんあったよね。これも美味。止まらん。
ここまでの行程:[1]新宿~勝田台 [2]勝田台~成田
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