2020年3月24日火曜日

ヒッキーが押し出張る。

「引きこもる」の対義語は「押し出張る」ではないか、そんな書き出しから始まる津原泰水「ヒッキーヒッキーシェイク」を読む。

引きこもった経験はないので本当のところはわからない。
ただ現代の情報ツールがあれば多くのインプットが発生することは想像がつく。矢印は内向き。

なんとなくそれが溜まっていく一方で、外向きの矢印、つまりアウトプットする場面が限られてくるような感じがしている。ただ“つぶやく”のではなくて、何かに/どこかに/誰かに“届ける”という意味でのアウトプット。

そうした矢印の大きなバランスが取れていない状況、特に物理的に取れていない状況のことが「引きこもり」なのかなと思ったり。
もしかしたら承認欲求なんてのもそういうことなのかもしれないな。
逆に、インプットが足りないとアウトプットできなかったりもするわけだ。きっと。


そのアウトプットを“ヒッキーたち”にさせよう、というのが本作の大筋。具体的にはコンピュータ/ネットワークを利用して『不気味の谷を克服した架空人物の創造』なんじゃそりゃ、という向きはコンピュータ/ネットワークを利用して検索してみてね(^^;

タイトルはThe Beatlesで有名な「Hippy Hippy Shake」のただのダジャレだとは思いますが、読んでいるときに頭を流れるのはSimon & Garfunkel「Scarborough Fair」です(ネタバレ)。

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どうもうまいこと世界に入り込めなくて、1/4ほど読んでから(登場人物があらかた登場してから)頭に戻って読み始めた。今度は登場人物のことを知ってるからわりとすんなり。

片手間に読んじゃだめだ。しっかり腰を据えて。
でもそうなると世界に入り込むだけでなく、「飲み込まれてしまう」ようなざらついた不安。
引きこもるには引きこもるだけの理由があって、それは人それぞれで――そういう描写は本当にキツイ。

『連中は「家から出られない」んじゃない。同じ人々が集まる一定の場所に「通えない」んだ』

キツイなぁと思いながらもうねるように進む物語に身を任す。

『自己紹介なんかもしなくていいし。どうせら君らの現実は半分以上がインターネット空間のなかだ』

・・・そう言われるとなんだかせつなくなるなぁ。そしてその空間には虚実、清濁、なんでもござれで。

終盤はものすごい加速感。ただ、やっぱり違和感というか不安感が並走してくる。落ち着かない。
エンディングは唐突にやってきた。「ん?」というか「へっ?」というか。

どう感想を書いたらいいんだろう。猛烈におもしろかったような、ぜんぜんつまらなかったような。現代風刺なのか、青春友情物語なのか。うまく言葉が出てこない。

読後感がいいのか悪いのかすら。

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