2011年、「SNSが情報収集に役立った」という状況があって、それから10年近く。確かに役立つツールではあると思う。だけど今は、情報を集めるというよりも“降ってくる”に近い状態だと思う。
デマの拡散が早い。
フォローしている人が必ずしも正しいとはかぎらないのに。
たとえば。
- 「マスクの次はトイレットペーパーがなくなる」というデマを誰かが流す。悪意の有無とは関係なく。
- それを盲目的に、あるいは脊髄反射的に「拡散」する人が出てくる。悪意の有無とは関係なく。
- いわゆるトレンドに「トイレットペーパー」が上がる。トレンドを見る人は多い。ますます拡散していく。ドラッグストアから大量に荷物を抱えた人々の写真も出てくるはずだ。
- ネットニュースがそのことを報じる。
並行してそれはデマであるというニュースも出てくるだろう。ただページビューを稼ぎたいメディアは意図的にデマという部分を見出しから隠し、「各地でトイレットペーパーを求める人」という部分を強調し、記事の最後に『実際には供給は安定している。落ち着いて行動してほしいと呼び掛けている』みたいなお茶の濁し方をする。それは明確に悪意だ。 - そのネットニュースがさらに拡散される。デマであることをみんなに伝えたいという善意の人もいるだろう。だが記事本文を読まない人も多い。ますます拡散され、さらにトレンドに上がってくるという循環。そしていよいよワイドショーでも放送される。
- ドラッグストアがオイルショック状態に。
その循環が、本来正しいものを発信しつづけなければならないところにまで及んでしまっているような気すらする。
スマホの画面がユーザーの“想像力”を奪ってるのか。
たとえば「自粛要請」に過剰反応して現場に電話したところで答えなんてあるわけがないことが想像できてない。
同じツールですぐに電話してしまえる時代だものな・・・。
政府広報も、シロートのデマも、同じ1つのツイートとして扱われてしまう怖さも感じる。
一次情報にあたったり、鵜呑みにせずに咀嚼したり、しっかり距離も取りつつ、改めてそんなリテラシーの部分を考えたい。
「考えればわかるじゃん」のひと言で思考停止になってないだろうか。自戒も込めて。
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