2017年の東京マラソンは、コース変更もあって男女/車椅子ともにすばらしい優勝タイムが記録された。特に男子は2'55というペースメーカー設定といい、世界“基準”な高速レースだった。
これによって、来年はより強いランナーが集結するだろうし、その世界基準を目指す日本人ランナーもどんどん出てきてほしいなと強く願う。いちスポーツファンとして、設楽悠太の挑戦には大きな拍手を送りたい。ボストン走るってよ、の大迫にも期待しちゃうな。
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というエリートランナーたちのゴールをテレビで見届けて、それからゆっくり昼飯食べて、沿道に向かった。
正直言って市民マラソンを応援するような趣味は僕にはない。なのに沿道までわざわざ出向いたのは旧い友人が走ってたからにほかならず、「応援してやりたい」という実に上から目線の失礼極まりない思いがあったから。
コースの終盤だったから中には非常に苦しそうな人もいたけれど、総じて参加者は楽しそうだった。沿道の声援も途切れることなく、ホスピタリティも充実しているように感じた。応援を含めた「当事者」にとって、これは祭なのだな、そんなことを思う。
どんな祭でも、観光客は当事者以上に楽しむことは絶対にできない。僕はそう思っている。
当事者ではない自分がそこにいる違和感。
当事者になろうともしないのにその場にいる自分に対する異物感。
楽しそうな当事者を見ても、その感覚は変わることはなかった。
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こういうこと書くとまた「えぇー」とか言われちゃうんだよな。あくまで個人の感想ですってば。
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