キョンキョンのオススメ第16弾、木内昇「漂砂のうたう」を読了。
時代小説の経験があまりない僕にとって、明治維新後の話とはいえ、そのセリフ回しや未知の言葉、読めない漢字(汗)となかなかにハードルは高い。ましてや舞台は遊郭。さらに独特の用語も多くて・・・。
それでも単語そのものはおもしろいものも多い。たとえば維新を表す「御一新」とか、遊郭にいる「遣手」はやっぱりおばさんだったり、文字どおりショーケースの「見世」とか。知識がないのを露呈して恥ずかしいけど。
主人公の定九郎は、今で言う呼び込みみたいな役目なのかな。客の品定めをし、トラブルの種を回避し、そして入店させるかどうかの判断をし、もちろん雑用もこなす。
御一新の波に飲まれ谷底に落ちているものの「自分はいつでもここから別の世界に行ける」、そう思い込むだけで何もアクションを起こせない男。売れない噺家とナンバーワン花魁との出会いの中で何かを感じることになる――。
基本的には主人公の心の内を語る純文学的な話なんだと思う。ただ舞台があまりに非日常であるがゆえ、ファンタジーのような心地にもなる。遊郭ってそもそも夢の世界だし(^^;
夢かうつつか。希望か絶望か。
さらにポン太という謎のキャラクターの存在によって、定九郎と読者の心はかき乱される。
残りページが少なくなったところで、夢がうつつに醒めていく、そんな期待感が大きくなっていく。そうか、この変幻自在な話はまさに、言葉から現実を生み出し、そして「下げ」に向かって収束していく落語の世界なのか、そんなことも思う。
やがて物語はクライマックスの「花魁道中」へ。
ぐいぐいと引っ張られる。この引力はすごい。
そして墓地でのラストシーンは、まるで映画を見ているかのように美しい。と同時にそれは儚い。
『自由なぞ実際にはどこにも存在しない』
――読書こそ、夢とうつつの狭間にあるもの。
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