2025年10月31日金曜日

翳りゆくひと。[123]


[123]

「また連絡するから、今日はいったんホームに戻ってね」
「どこに帰るのかしら。マンション?」
「いつものグッドライフの部屋だよ。車で送ってくれるから」

あっちゃんをグッドライブのスタッフさんに預けた直後、葬儀社の方が寝台を押しながら病室にやってきた。

「このたびはお悔み申し上げます」
「お世話になります」

マサさんを寝台に乗せる間、わたしは廊下で待つ。
左脚を曲げたままのマサさんを棺桶に移すのに少し難儀している様子もうかがえる。

「では出発したいと思います。息子さんは横にお乗りください」

看護師さん、スタッフさんが駐車場まで見送りに出てくれた。

「お世話になりました。よしだ先生にもよろしくお伝えください」

ワンボックス型の寝台車にスライドドアから乗り込んだ。横にはマサさんがいる。もちろん顔は見えないし、気配を感じることもない。そう思った瞬間に死という実感が押し寄せる。

車が上り坂にさしかかった。窓から広くなった空が見える。

「あ、虹だ」

雨上がりでもないのに、虹が出た。
ハンドルが切られるたびに見え隠れするその見事な半円を、わたしは一生懸命に目で追っていた。「虹が見えるよ」とマサさんに心の中で話しかけながら。

やがて寝台車は小さな葬儀場に到着した。車から降ろされたマサさんは、そのまま葬儀場に運び込まれ、そして祭壇の前に安置された。
なんとなくどこかの霊安室のようなところにいったん運ばれるものと思っていたわたしは、少しばかり戸惑っていた。

「今後の予定ですが、通夜が明日、そして明後日が葬儀と火葬になります。火葬の予約も入れてしまいますね」

葬儀社の社長さんが説明を始める。
わたしの暮らしているエリアでは、死亡日から数日後に通夜というケースが珍しくない。それこそ心の準備が、とも思うが、よく考えれば遠方から来ているわたしにとってはむしろ都合がいい。

「ところで心臓ペースメーカーは使われていましたか」
「ええ、入っています」

火葬する際にバッテリーが爆発してしまうそうで、ペースメーカーの有無については火葬前に告知しておかなければならないそうだ。言われればそうだとは思うが、家族が気づける、あるいは知っているような話ではないな。

「お父様は宗派は」
「浄土真宗です。信心深いほうではなかったですけれど」

非常に簡易な葬式として、出棺のときのみ読経してもらうという方法もあるそうだが、家族だけの小さな葬式にしても、それはさすがにミニマムに過ぎる。
ごくごく一般的に行われているように、通夜から読経してもらう形にしてもらった。

「費用ですが、いくつかパックになっていまして、最も安いもので○万円のものから用意しています」
「出席者もごくごく限られていますし、その一番安いものでお願いします」
「承知しました。それから、暑い季節でもありますので、追加でドライアイスを入れさせていただきたいと思いますのでその費用が追加になりますがよろしいですか」
「はい、それはもちろん」
「あとは追加費用で・・・」

心の中で「費用の説明がずるいな」と思う。パックの費用だけではそもそも収まるわけがないのだと知る。

「ところで不案内なので教えていただきたいのですが、お坊さんに対してのお布施は」
「封筒などはこちらで用意します。今回のように2日とも読経していただく場合は○万円で」

社長さんは「旧知のお坊さんなので安いんですよ」と言っているようだが、それもわからない。
わからないことだらけだ。これも社会勉強か。

「印鑑はお持ちですか。死亡診断書に押印して区役所に届けて、火葬許可が出ることになるのですが」
「今日は持っていません。明日こちらに来る妻に持ってくるように伝えます」
「わかりました。では明後日の朝、葬儀の前に当社が届けを出しますので」

遺影のこと、通夜のときの食事、葬儀の前の弁当、会葬御礼、決め事は多岐に及ぶ。
どのぐらいの時間打ち合わせをしただろうか。ようやくひととおりの内容が決定した。

「それでは明日改めて参ります。どうぞよろしくお願いいたします」

移動中に取ったホテルに入り、夕食を取りながら明日の予定を頭の中で再確認する。
もしこれが仕事なら、事前に資料を読み込んでそれから打ち合わせを行うレベルだと思う。このメモ書きだけで漏れなく滞りなく進められるのか。心配と混乱で頭がいっぱいだ。むしろ脳が正常に機能していないような感覚すらある。

そんな頭の隅で思ったのは、これは家族の一大イベントなのだなということ。

大切な思い出になるといいね、おじいちゃん。

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